<?xml version='1.0' encoding='UTF-8'?><?xml-stylesheet href="http://www.blogger.com/styles/atom.css" type="text/css"?><feed xmlns='http://www.w3.org/2005/Atom' xmlns:openSearch='http://a9.com/-/spec/opensearchrss/1.0/' xmlns:georss='http://www.georss.org/georss' xmlns:gd='http://schemas.google.com/g/2005' xmlns:thr='http://purl.org/syndication/thread/1.0'><id>tag:blogger.com,1999:blog-2915658114024643012</id><updated>2011-07-28T15:04:37.801-07:00</updated><title type='text'>台北處處看</title><subtitle type='html'></subtitle><link rel='http://schemas.google.com/g/2005#feed' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/posts/default'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default?max-results=100'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/'/><link rel='hub' 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/&gt;拉致――辞書を引くと「無理やりつれていくこと」とある。略奪も似たようなものだが、この場合土地、物品、食料をも含むので範囲が少し違うらしい。拉致は人間の場合にだけに使われるようだ。大げさにいえば、拉致は人類とともに始まった。そして腕力の差からいって男が女を拉致するのが普通だった、と思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ローマが現在のローマの地に建国したのは紀元前715年とされているが、彼らが居を定めた場所は、起伏する七つの丘にかこまれた、ほとんど耕作できる平地もないところであった。北に前から定着していたエトルリア人（サビーニ族）が、南に地中海を走り回っているギリシャ人の集団がいたので、その場所に落ち着いたらしい。集団は牧畜（羊飼い）を主にして川辺にいたから水利の便はあったが人口の急速な増加につれて領地を広げる必要があった。初代の王ロムロス（ローマの語源は彼による）は度々部下をつれて隣のエトルリア人地区に攻め込む。目的は女性の拉致だった。ローマ人は男が多かったのか、拉致した女性は妻にした。当然、拉致されたほうは奪い返そうとする。何度も戦闘があった後、ついに拉致された女たちが戦場へ割り込んで、戦いはやめなさいという。夫（ローマ人）と親、兄弟（エトルリア人）が戦うのを見るに忍びないからだという。そこでローマとエトルリアは和解し、ローマの版図がはじめてひろがった。&lt;br /&gt;拉致が結婚の一つの形式だったのはローマばかりではない。多くの民族にのこる結婚風習からそのことがうかがえる。台灣でもその残滓と思われる結婚風習が数多く残っている。花嫁を迎えに行く「子婿伴」や里帰りの「舅仔伴」などがそれだが詳しいことは別の機会に譲る。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ローマの建国からほぼ2800年たった。&lt;br /&gt;人類は文明になったというが、北朝鮮では最近まで公然と拉致が行われていた。ある日、新潟県の海岸で散歩していた若者が（男女を問わず）正体不明の船に乗せられていったり、ヨーロッパで日本人の若い女性が突如姿を消したり（横田めぐみは当時13歳だった）、行き先はすべて北朝鮮だった。総数は13人とも17人ともいい、正確な数字はわからない（日本と北朝鮮の発表した数字がくいちがっているため）。結婚させられたのもいるがこのような拉致の真の目的はいまだに謎につつまれている。&lt;br /&gt;庶民ばかりでなく、大物も拉致されることがある。金大中が野にいたころ、東京のホテルで韓国のＫＧＢに拉致された事件があった。他国の首都で特務機関が行ったことで大事件といえるが、韓国政府が謝罪したかどうか分からない。&lt;br /&gt;拉致の先輩は、実は中国である。政敵の拉致は日常茶飯事のようにおこなわれていたが、戦乱の時代には若い男を拉致して兵隊にすることも普遍的に行われていた。日本陸軍は兵員が足りなくなるか、あらたに師団を編成する必要が生じると１銭５厘の「赤紙」（召集令状）を発行すれば国家機能が働いて兵が集まるが、中国では隊長が請負で集める。このとき定員いっぱい集める隊長はいない。もう長く軍隊で生活してあらゆる細部に通じた老兵や志願兵で員数が足らないと街へ出て拉致する。それで八割かた集まったところで募兵完成の報告をする。点呼があるから定員に足らないぶんは点呼の日だけの「傭兵」に日当を払って雇う。&lt;br /&gt;私が子供だった頃、となりの集落に「老啓叔公」という話好きな大叔父さんがいた。酒が好きで一杯機嫌になるとよく昔話をしてくれた。あるとき、なにかの拍子で「わしはな、シナ兵になったことがあるんだよ。清朝の兵隊だがな」といったことがある。よく聞いてみると、県庁が彰化にあった頃、守備兵の身代わりで点呼査察に参加したのだという。&lt;br /&gt;｢お前の名前は林ｘｘだ。（よく覚えておけ）。名前を呼ばれたら「有（ユー）」と手をあげて答えるんだぞ。わかったか」&lt;br /&gt;と何度も練習して、制服を着て広場に整列し将校がくるのを待った。係官は名簿片手に一々名前を読み上げ、手があがるとちょっと観察して次に移る。馬鹿面でもかまわないが、あまり年をとっているものはだめだ。&lt;br /&gt;「200人くらいいたから結構時間がかかったよ。全部が傭兵ではなかったが。夜になってからわれわれ臨時兵は日当をもらって帰った。そうだなあ、銀貨一つくれたかなあ。割りのいい仕事だったよ。あとの二割の人の給料はどうするかって？もちろん隊長のポケットに入るさ。ほかの給与も含めてな。ただね、一人占めはいかんよ。県長はもちろん、台南府にも適当な人を配して査察の時期を知らせてもらえるようにしないとばれるからね。結構出費もあったんだろうよ。そんな金を節約したために通知がおくれて傭兵の手当てが間に合わず、汚職罪で銃殺されたのがいたそうだよ。&lt;br /&gt;拉致か。平時はそんなことしないよ。あれは軍が移動するときにするもんだ。拉致してそのまま行軍してしまうからね。拉致されたとわかったところで相手は武器を持った集団だ。手が出ないよ。泣き寝入りするだけだ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;国民党時代にも拉致は半ば公然とおこなわれていた。公然の秘密ではあっても、国軍の栄誉に係わるのでいう人もなかったが、なぜか中華人民共和国建国六〇周年になる今年、相次いでいくつかの拉致の例がテレビや新聞で暴露された。&lt;br /&gt;六月に放映された「台灣演義」で二例報道されている。一例は大連で結婚式に赴くため家を出た若者が、街で兵隊狩りに会い、そのまま軍に編入された件である。彼が属した部隊は東北地方で連戦連敗の末台灣に撤退してきた。後に国軍更新計画で退役し、結婚して子供ももうけたが、ある日台北の街角で大連で結婚するはずだった彼女に会った。奇跡的に彼女も結婚して台灣に逃れてきていたのである。再会した二人はともに配偶者を亡くしていたので改めて結婚し、ニュースに大きくとりあげられた。この例はきわめて稀な幸運な例だが、ある新聞が伝えるところによると、母に「醤油を買ってきて」といわれて街へ出たところで拉致に会い、部隊とともに台灣に逃れ、一九八九年中国への帰省訪問が許されるまで母親との連絡も覚束なかった彼が、帰省するについて真っ先に買ったのは醤油一瓶だった。母の言いつけを果たすために。美談である前になんと悲しい国かと思う。&lt;br /&gt;中国では兵隊の員数をあわせるために拉致が普遍的に時代を超えて行われていたことが分かる。こんな例がどれだけ埋もれているだろうか。掘り起こせば何万とあるだろう。&lt;br /&gt;中国のエリートによる座談会の記録を読んだことがあった。毒ギョーザ事件について異口同音に、「日本人がどうしてそんなに騒ぐのか分からない。だれも死んでいないのに」と言っていたのに唖然とした。彼らにとって日本人がなぜ拉致問題をとりあげて騒ぐのか、永遠に分からないだろう。&lt;br /&gt;史上最大規模の拉致は、ポルトガルによるアフリカ人の拉致だったのではないかと思う。カリブ海の島々のサトウキビやブラジルの広大な土地に栽培していた綿花の収穫は一斉に行う必要があり、大量の労働力が要求された。それをポルトガルは現地で拉致したアフリカ人に求め、かの悪名高き奴隷船に積んで供給したのである。拉致に当たったのはポルトガル人だけではなかったが、運送したのは殆どポルトガル船だった。その数900万人とも1500万人ともいう。酷い条件の奴隷船で運んだため、途中で死ぬものも多かったから記録が不確かだったのだろう。北朝鮮あたりでは「たかが十人や二〇人の拉致でなにを騒いでいるか」と考えているかもしれない。&lt;br /&gt;一方、日本でも秀吉の朝鮮出兵の際、引き上げるときに朝鮮の陶工を拉致した前歴がある。その子孫がいま一四代か十五代になっているらしい。このときは朝鮮の優れた陶磁器技術がほしくて連れ帰ったのだから、納得づくでつれてきたのもいただろう。いずれにしてもすでに日本の社会にとけこんでいる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;人類の歴史の中では、戦争で敗者になると勝者が本国に拉致して奴隷にすることが広くおこなわれきた。近代になって捕虜の取り扱いに国際的なルールが決められたが、労働はさせていいことになった。しかし、ソ連は戦争が終わった時点で捕虜をシベリアに連行し、戦後もなお何年間も労働させた。「抑留」と造語したが、実質は拉致なのはまちがいない。これに対してソ連が謝罪したのをきいたことがない。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-329703952608153724?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/329703952608153724/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=329703952608153724' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/329703952608153724'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/329703952608153724'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2009/09/715-2800-131317-200-9001500.html' title=''/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2915658114024643012.post-5701220731077945667</id><published>2009-08-30T00:26:00.000-07:00</published><updated>2009-08-30T00:29:45.877-07:00</updated><title type='text'>緑の海平線を観て――少年工物語補遺</title><content type='html'>緑の海平線を観て――少年工物語補遺&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　廖　継　思&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;2007年11月26日、公共テレビで「緑の海平線」（少年工物語）が放映された。郭亮吟監督によるドキュメンタリーである。郭監督は、家族がゼロ戦となんらかの関係があったので、是非記録として残したかった一念からこの映画の製作を思い立ったという。私の弟がその少年工の一員だったので、見てもらって感想を聞いた。&lt;br /&gt;一般に海軍工員と呼ばれていた高座の少年工は総数8419人もいた。第一次は昭和18年4月に高座海軍工廠に着任したが、選考は前の年から行われていた。海軍の戦闘が海戦から空戦に移って行く中で、飛行機の増産が最優先となる情勢を見て取った結果である。しかし、内地では兵員の動員で労働要員が不足していたので、台湾の若い少年に目が向けられた。&lt;br /&gt;募集は昭和17年、当時国民学校の高等科１，２年生だった男子生徒（15歳前後）を対象に、学校の先生を通じて行なわれた。昭和17年といえば、ミッドウエー海戦とガダルカナルへの米軍上陸で戦局は不利に傾いていたが、一般国民には知らされず、まだ勝っていると思われていた時期である。熱心な教師や学校では半ば強制的に勧めた形跡もある。&lt;br /&gt;働きながら技術を習得するとともに、中学程度の学業も教えるから、何年かあとには中学卒業の資格が得られるというのが、募集の要項であり、当然愛国心に訴えることも忘れなかった。志願が原則だから保護者の判が必要だった。親が反対だったので、判を盗んで押した人もいたといわれている。&lt;br /&gt;選考は学科試験から始まった。&lt;br /&gt;学科試験をパスしたものだけが第２次試験に参加できる。主として口頭試問と身体検査だが、ここで落とされて泣いた人も少なくなかった。志願者約２万人から採用したのが上記の数字であった。&lt;br /&gt;上記のほかに、旧制中学校や実業学校を卒業した人も募集した。少年工を統率するためで、中隊長と呼ばれていた。約２00人採用された。20歳前後で、私の中学のクラスメートも一人採用されている。弟は第7期で、その中隊長は台北二中出身の人であった。広田と呼んでいたから多分黄姓だったのだろう。&lt;br /&gt;少年工はまず高雄の岡山海軍工廠、俗称「空C廠」に集合の上、何回かに分かれて南方からの輸送船とともに日本に赴いた。ドキュメンタリーでは、高座工廠を「空Ｃ廠」といっているが、それは間違いで、「空Ｃ廠」は岡山海軍工廠のことであり、南方からの飛行機の整備を主な業務としていた。（はじめは一般から自動車整備の経験があるものを募集していたが、あとで少年工も一部投入された。空Ｃ廠は後にフィリッピンに進出して現地で整備をするようになったが、米軍の上陸後山の中に逃れ、何ヵ月かの後投降して一命を取りとめた村人がいた。少年工でフィリッピンで亡くなった人がいたのはこの事情による。）&lt;br /&gt;第一梯団の少年工約800人は、昭和18年４月30日にサントス丸で高雄を出発して、５月7日に高座に着いている。昭和18年といえば、その3月19日に神戸とキールンを結ぶ内台航路の高千穂丸がキールン沖で撃沈されたばかりだったから、海軍でもこれら工員の輸送にはずいぶん気を使ったらしい。第一船は800人をのせて、数隻の南方からの軍用船と船団を組み、駆逐艦に囲まれて航海した。この方式は一年後弟が乗った第７期の時も同様だったという。第７期は昭和19年３月に出発したから、情勢は一層厳しくなっており、護衛駆逐艦の数も多く、乗船者も増えたのか、野菜などは甲板に露天積みして網かけしていただけだったという。&lt;br /&gt;実は、私は弟が志願したことを知らなかった。高座からのはがきではじめて知ったが、さて高座というのはどこにあるか分からない。ようやく、大和の近くにあることが分かって、千葉から横浜まで行き、それから相模鉄道に乗り、大和で降りて高座に着いたのはもう昼を過ぎていた。実際は、大和で江ノ島線に乗り換えて鶴間で降りる方が近かったが、知らない土地で大廻りしたことになる。弟たちはまだ基礎訓練中で、合図の笛に合わせて金槌を振り上げては鏨（たがね）を叩く画面が映画で何度も放映されている。一棟200人の宿舎が40棟建設されて、彼らはそこで生活し、工場まで2キロの道を、隊列を組み、軍歌を歌いながら工場まで歩いて通勤した。私が高座へ行ったのはこの時だけで、その後一度だけ派遣先の中島飛行機製作所・太田工場まで行っている。私も工場に就職したばかりで、中々休みが取れなかったのである。宿舎はノミだらけで、その飛び上がる音が聞こえるくらい、文字通り跳梁していた。&lt;br /&gt;高座工廠が正式に開廠したのは昭和19年4月だったから、第一、二期生（第一期せいは内地で募集した日本の少年だったから、台湾から行ったのは二期生が最初だった）あたりは、工員養成訓練のかたわら、約束通り学科の授業も受けたが、それ以後になると基本訓練のあとすぐ各地の工場へ出向している。弟は４月に着いて、６月か7月にはもう太田の中島製作所へ派遣されていた。私が尋ねて行った時、広田中隊長の計らいで、腕章をつけて工場のゼロ戦製作現場を見学している。はじめて身近に見るゼロ戦は意外に小さく、これでよくも台南からフィリッピンまで往復できたと思うくらいだった。機体と翼をリベットでつないでいく動作はもう一人前の工員に見えたが、実は一般工の助手として当て板などを支えていたに過ぎない。別棟で夜間戦闘機・銀河と月光、高速、高高度戦闘機・雷電の試作が進行中だった。まだB29は来襲していなかったが、ゼロ戦では高度や速度で歯が立たないことが分かっていたので、次期戦闘機として期待がかけられていたのである。これらの機種は、後に高座工廠に移って製作されたが、そのころには空襲が激しくなっており、資材も不足勝ちで、それでも終戦までに128機生産されたが、実戦に参加できたのはそんなに多くなかったらしい。期待ほどの戦果も上がらなかった。&lt;br /&gt;私はまだ卒業しない前の六月には就職先の会社に入り、巣鴨の社員寮にいたが、過労で9月に入院したとき、弟は独りで寮まで尋ねてきて、看病のためと称して、１週間近く泊まっていった。寮長広田君の特別な計らいだった。退院の日、弟と二人で飯田橋の病院から銀座へ出ようとして、都電に乗っていたら、警視庁あたりで空襲警報が発令された。電車が停まり、乗客はみな下ろされたが、防空壕に入る人はなく、まもなく、澄み渡った秋空に銀色に光るB29がただ1機悠々と飛んできたのを見上げていた。青空をバックに光っていた姿は美しくさえ思われた。これが東京上空に現れた最初のB29で、半年後東京下町の大半を火の海にして焼き尽くす魔物の尖兵だったとは誰一人考え及ばなかった。B29はその後毎日昼ごろに定期便のように飛んできた。本格的な空襲が始まったのは11月24日、70機編隊で来た。最初の偵察から約２ヵ月しか経っていない。&lt;br /&gt;少年工の仕事は、第１、２期はいざ知らず、あとで来たものは主として一般工の手伝いで、まだ独立して仕事できるほどではなかった。日給90銭で休みの日は給料が出ない。少し熟練してくると日給１円５銭に上がる。食事は切符制で、月のはじめに食券が渡される。それを失くすと食事もできなくなる。実際に食券を失くして食事ができなかった例が時々あったという。分けて上げたくても、自身が不足だったのだから、どうにもならなかった。給料は30円ぜんごだが、派遣になると加給が付く。しかし買いたい食品は手に入らず、ほかに用途もないから結構余っていた。のちには100円ももらっていた人がいる。&lt;br /&gt;高座の少年工たちは、８月15日の終戦の放送を工場内で聴いた。雑音がひどくて内容がよく理解できなかったが（この期に及んでも小難しい漢語ばかり並べていた）、この朝は空襲がなかったし、どうやら戦争は終わったらしいことだけは分かった。しかし、ｘｘ海軍中尉は、皆を集めて、&lt;br /&gt;「お前たちが一生懸命仕事をしなかったから戦局が悪くなったのだ。気合を入れてやる」&lt;br /&gt;とまた勤務を命じ、夜業まで続けた。米軍の飛行機がもはや飛んでこないのが変だなあと感じながらも毎朝整列しては、工場へ向かった。そのうちに、各地へ派遣していた工員が、船橋から、太田から、名古屋から帰ってくる。&lt;br /&gt;「何だ、お前たち、何をしているのだ。戦争は終わったんだぞ、負けたんだぞ」&lt;br /&gt;とはじめて終戦を知る。軍人の頭の固さを知る一例である。&lt;br /&gt;寮では出身地（庄単位）別に再編成が行われ、一時金が何百円（７00－800円だった？）か支給されたほか、ガリ版刷りの身分証明が渡されて、電車、汽車はすべて無料で乗車できるようになった。そこではじめて横浜や東京へ行けた人たちも多い。焼け野原になったとは言え、大都市は田舎出身者が大部分だった隊員には魅力があった。勇敢な者は大阪まで兄に会いに行っていた。食事は継続して供給されていたが、食費を払うことはもうなかった。そんなにご馳走ではないが、少なくとも腹一杯食べられるようにはなった。困ったのは、倉庫の食塩が底をついて、塩気のない食事が何日も続いたことで、幹部が相談して近くの厚木飛行場までいって塩を積んで帰った。マッカーサーが厚木に到着する前だった。マッカーサーは８月30日に厚木に降り立った。&lt;br /&gt;町の中は復員した兵隊服の男であふれて、いたるところでマーケットが開かれていたが、大根１本10円、するめ１枚10円と貨幣価値は円単位に跳ね上がっていたから、一時金をもらったといっても瞬く間に消えてしまうものだった。この時、もう要らなくなったゲートルなどを農家へ持っていくと喜んで食料品と交換してくれた。このような生活が４ヵ月半続いて、弟たちはその年の12月31日、横須賀から氷川丸で帰国した。帰る直前に脚をやけどしたので１等船室に入れられた。生涯はじめて、またおそらく今後も１等船室には縁がないだろう。またとない経験だった。&lt;br /&gt;故郷に帰った弟は15歳になっていた。本来ならば新制中学を卒業する年であった。高座の約束が絵に描いた餅になったので、改めて中学を受験しなければならないが、公立の学校はすべて入試を終えており、来年まで待たなければならない。幸い、林献堂氏の長男（ケンブリッジ卒）が霧峰で私立中学を創設したのでそこへ入学できた。&lt;br /&gt;しかし、このような幸運は誰にも訪れたものではなかった。農村出身の多くの人は年令と学資の関係で進学を諦めざるを得なかった。何よりも３年間の日本での生活で、日本語と母語の台湾語しか話せなくなって北京語に順応するのに苦労した。頭がよかったにもかかわらず、親の農業を継いで一生を終えた人も少なくない。それでも都会生れの人はまだましだった。少し歳がいってはいたが、順調に進学して大學を卒業し、国際舞台で活躍した人（山を愛し、３ヶ国語に堪能だった楊氏や短歌ですぐれた作品を数多く残した洪坤山さんなど）がいた。一方、国民党軍に志願させられて内戦で戦死したり、大陸で病死したりしたのもいて、それこそいろいろであった。いずれのケースでも日本政府は何ら処置をとっていない。原爆被害同様、彼らはもう日本国民ではないという理由である。一方、台湾の国民政府は、少年工を日本に協力した者として差別し、その技術を活用しようともしなかった。高座経験者で高座会が結成されたのは、戒厳令が解かれた1987年だった。しかし、ほとんどの人は60歳になろうとしていた。また、当時は皆日本名をもちいていたから、本来の姓名が分からず、連絡がつかなかった人もかなりいた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;映画「緑の海平線」はその間の事情をかなり伝えてはいるが、取材不足の部分もある。後世の人がそのまますべてを網羅した真実と誤解しないように、敢えて本稿をしたためた。もちろん、ここに書かれたこと以外にもなお８000人あまりの人が語りたくて果たせなかった部分も残されていることを十分理解しての上である。&lt;br /&gt;映画を見ていて感じたことがあった。披露された手紙の字がきれいであったばかりでなく、文章がかなりの水準に達していたことである。いまどきの日本の中学生でもこれだけの文章が書けるのは何人もいないだろうと思った。弟に言わせると、少年工に志願したのは級長とか副級長クラスの人が多く、一つの国民学校から６，７名程度しか合格しなかったのだから、当然だとのことだった。&lt;br /&gt;一つ不思議というか僥倖というか、あれだけ大きな建築物がなぜ爆撃に会わなかったかと言うことである。銃撃には度々遭遇したが（銃撃で六名死亡したし、爆撃では名古屋の三菱工場で直撃弾に当たって２５名死亡した）が高座工廠は爆撃を受けなかった。急ごしらえの木造建築だから、爆撃でも焼夷弾でも一たまりもなかったにちがいない。工場、宿舎を通じて無事だったのは、全く奇跡というべきだろう。それに、あの危険な時期に何回かに分かれて日本へ輸送されたが、一隻も撃沈されなかったのも奇跡に属する。あるいは台湾の媽祖さんがはるばる海を渡って庇護したのかもしれない。&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　2007/12/25&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;参考文献；　　保坂　治男；　台湾少年工　望郷のハンマー　　1993/12月&lt;br /&gt;　　　　　　　野口　毅　；　台湾少年工と第二の故郷　　　　1999/7月&lt;br /&gt;　　　　　　　台湾高座会編集委員会；&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　　難忘高座情　　　　　　　　　　1999/10月&lt;br /&gt;　　　　　　　&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-5701220731077945667?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/5701220731077945667/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=5701220731077945667' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/5701220731077945667'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/5701220731077945667'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2009/08/blog-post_30.html' title='緑の海平線を観て――少年工物語補遺'/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2915658114024643012.post-985685146876349045</id><published>2009-08-30T00:21:00.000-07:00</published><updated>2009-08-30T00:25:16.157-07:00</updated><title type='text'>「よし」「だめ」とTake care ten minutes</title><content type='html'>「よし」、「だめ」、「引け」・・・&lt;br /&gt;何の掛け声かおわかりですか。実は、これは野球用語で、皆さんおなじみの「ストライク」「ボール」「アウト」のことで、戦争中血迷った軍部が「英語は敵性語だから使ってはならぬ」と決め付けて、創作した用語でした。昭和18年3月のことでした。因みにこの「敵性語」は「敵国語」でなかったところが実に傑作でした。他にもラグビーは闘球、バスケットボールは籠球、バレーボールは排球、ピンポンは卓球、たばこの「バット」は「金鵄（きんし）」になりました。そのまま定着したのも少なくありません。戦局が楽観を許さなくなった時期に、本職の軍務をほったらかしてこんなことに頭をいためていた大本営の参謀たちの姿は、今からみると滑稽そのものですが、この敵性語禁止令で一生涯損をした人たちがいたことはあまり知られていません。&lt;br /&gt;軍部は教育の場までこの政策を押し広め、女学校、実業学校生徒は敵性語を学ぶ必要がないという理由で授業を取りやめ、わずかに中学だけが「将来外国の知識を吸収するのに必要だから」という理由で時間数を減らして保留しました。私事で恐縮ですが、家内はこの時期に女学校に入学したので、アルファベットさえろくに読めない状態でした。最近、もっと深刻な状況が発生しています。一大決心でパソコンを習おうとした、年配のおじさん、おばさんたち、キーボード上のＡ、Ｂ、Ｃ・・・の位置が分からない（もう覚えられない）ばかりか、日本語のローマ字つづりができないのです。先生がまず困ってしまいました。いまさら仮名のキーの位置は覚えられないから、諦めて放棄する人ばかり、折角大枚を出して買ったパソコンが机の下で眠っています。この人たちは日本のかつての軍部に一生涯祟られているのです。&lt;br /&gt;この文を書いた動機は、二つのことを思い出したためでした。一つは、戦後まもなく、太平洋の島々に散らばっている日本軍を復員させるために軍艦「酒匂（さかわ）」がある島に着いたとき、そこにいた米軍の将校が「酒の匂いがしませんね」といったこと。随行の記者が「どうしてそんな洒落（しゃれ）が言えるのか」と聞いたところ、「私たちは、志願して入隊するとすぐ日本語速成教程に回されて日本語を勉強しました」との返事、日本の軍部が英語を敵性語と排斥して教えるどころか、禁止したのにくらべて、米軍の柔軟なやりかたに若い私は強いショックを受けました。終戦後まもなくのことでした。もう一つは、戦後十年も経ったころだろうか、当時台灣に来ていた米軍顧問団の将校が通訳官をしていた知人に日本から来たガールフレンドの手紙をみせて、「どうして彼女はわたしに・・Take care ten minutes.というのですか」と聞いた話。彼女は日本語で「十分気をつけて・・・」と書いたのを彼は十分＝ten minutesと読んだためでした。二人とも軍に入隊してから日本語の速成教育をうけたにもかかわらず、漢字の意味までマスターしていたのです。日本が負けたのは、このような日本軍の「夜郎自大」と米軍の「柔軟性」の差も影響しているとこのごろ思います。&lt;br /&gt;もっとも、これで得した人たちもいました。台湾で（のちに中国で）野球をするとき、日本がかつて造語した野球用語の漢字が大変役に立って、頭をいためる必要がなかったのです。今台湾でもシナでもストライクは「好球」、ボールは「壊球」、ホームランは「全塁打」ですから、日本の訳をそのまま流用したにちがいありません。&lt;br /&gt;ここでちょっとエピソードを入れると、太平洋戦争中、日本兵は40年前の明治38年（1905）制式のいわゆる三八銃で戦いつづけました。重さ4キロ、弾丸は5発、一発撃つ度に（こうかん）と称するレバーを引いて薬莢を飛び出させ、（こうかん）を押し戻して新たな弾丸を装填する方式です。装填できる弾丸は一度に５発。対する米軍のものは重さ2.5キロ、弾丸は25発、引き金を引く度に薬莢が飛び出し、次の弾丸が装填されました。こんな悪条件で戦わされた日本兵に同情を禁じえません。&lt;br /&gt;日本語速成学校で勉強したアメリカの若い将校たちは、大部分前線に派遣され、捕虜になった日本兵士から出来る限りの情報を集めました。それはすべてワシントンの本部に送られて真実性を審査、分析して多くの作戦や戦場での戦闘法に生かされたことが最近公開された資料で明らかになっています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;焦点を台湾に移してみましょう。戦後台湾へ進駐してきた中国兵と官吏のあまりな質の悪さ、横暴さに失望、反発して彼らが推進しようとしていた「国語」を、習わない、話さない人がかなりいます。それがここへきて少し困ってきたように感じられます。中国語の電脳が使えないのです。いいか悪いか、あるいは好むか好まないかに拘わらず、十数億の人間が話している言葉で電脳が使えないということは、考えてみれば一大事です。自ら電脳のない世界に引きこもるのは簡単ですが、世界から隔離されることに甘んじなければならない。日本語族の孤独感を一層深刻にしている原因の一つと言えない事もありません。このことでわたしは、太平洋戦争中に日本の軍部が行った英語禁止措置とアメリカ軍が設立した日本語学校過程を思い出さずにはいられませんでした。&lt;br /&gt;「若者が台湾語ができない、話さない」と嘆いている人が少なくありません。確かに、若者の台湾語離れはとても深刻で、近年加速的なのを感じます。一方では台湾意識が上がっているのに、この現象をどう解釈したらよいか、わたしはわたしなりに考えてみました。結果、到達した結論は電脳のせいということになりました。漢字の入力法はいろいろ考案されています。わたしも日本語の電脳が出来るようになってから、なんとか漢字の電脳（中文）も打てるようにと願って、試みましたが、結局注音符号、いわゆる「ポ、ポ、モ」がもっとも直接的で早いことが分かりましたが、肝心の発音が正しくないため中々できません。今でも出来ない。中国では注音符号の代わりにローマ字を使うが、それは小学校からやっているからこれも問題がありません。発音通り打って漢字に変換すればいのです。ローマ字かカナで打って変換すれば、日本文ができる過程と全く同じではないがほとんど同じです。それがホーロー語（河洛話）ではできないのです。若者の台湾語離れの原因の一つがここにあります。最近は、携帯電話の飛躍的増加がこれに輪をかけています。いつでも、どこでも自由に電子通信ができるようになったため、伝言、メッセージ、挨拶、恋愛にまで携帯電話が活用されると、考えていることが直接文字になる北京語が断然優勢になります。もう、台湾語を話す機会がどんどん減っていくのがお分かりでしょう。&lt;br /&gt;アメリカ軍の精神で、戦後まだ頭脳がやわらかい時期に一生懸命「国語」を勉強していたら・・と後悔しています。いまさら「国語」を、注音符号を勉強せよとは申しませんが、「坊主憎けりゃ袈裟まで」や、「敵性語」の境地から脱却して、ＩＴ時代を迎える用意が必要な時期になったのではないかと、このころ思うのです。&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　07/10/04&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-985685146876349045?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/985685146876349045/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=985685146876349045' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/985685146876349045'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/985685146876349045'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2009/08/take-care-ten-minutes.html' title='「よし」「だめ」とTake care ten minutes'/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2915658114024643012.post-8814983847083347186</id><published>2009-08-29T23:51:00.000-07:00</published><updated>2009-08-29T23:54:07.376-07:00</updated><title type='text'>見切り販売騒動</title><content type='html'>閉店間際とか新鮮度保証時間（最近はこれを賞味期限という）が近づいた商品を安く売ることを見切り販売という。生鮮食品や弁当などでよくもちいられる。仮名文字が好きな日本人はセールといっているが。&lt;br /&gt;最近大手コンビニチェーンが見切り販売を行った加盟店に出荷を停めるか制限するかの措置をとったので、公正取引委員会の摘発をうけた。&lt;br /&gt;売れ残りになると店の損失になるので加盟店が見切り販売するのは当たり前の行動で、商店ならば昔からおこなわれていた。私たちの若いころには、閉店３０分前にパン屋で安いパンを買うのが生活の智慧みたいになっていた。時刻と天気次第ではお目当てのものが買えないこともあるが、反対に思いがけない安さで買えることもある。日本や台湾ばかりでなく、ヨーロッパでもミュンヒエン駅の地下街で夕方、パンばかりでなくジュースやワインまでセールしていたのに出会ったことがある。20マルク（当時のレートでＮＴ＄３００元）で抱え切れないくらい大量の食品をもらい、二人で二食食べた経験がある。庶民、とくに旅行者や学生や労働者にはありがたい。東京でもよく閉店前の弁当屋で半値の弁当を買った覚えがある。&lt;br /&gt;コンビニ本社の措置は消費者の存在を無視したやりかたなので委員会の指導を受けたのは当然だが、ここでもう少し問題を考えて見ようと思う。&lt;br /&gt;そもそも賞味期限というのがいつごろから決められるようになったのか分からないが（法的規制はない）、その起源は薬、特に抗生物質の有効期限にあると思われる。抗生物質の立役者だったペニシリンは不安定で、当時の精製技術では特殊保存法をとってもある期間しか効力を保証できなかった。その上、薬剤の性格上使用時に所期の効力をもっていなければならない。それで有効期限（Expire date）という規定を設け、この期限をすぎたものは使用しないようにした。いまでは精製技術が進歩したので、有効期限は３年とか５年になったが、初期の製剤は一年くらいしかなかった。薬局方によれば、有効期限は次の規定に従って決める。&lt;br /&gt;　　「検定合格の翌月から～年（または～ヵ月）」&lt;br /&gt;従って、この期間中は効力（専門語では『力価』という）と品質が保証されているわけだが、じつは世間ではその起源を知らないためいろいろな問題を内臓している。第一は、それでは期限を過ぎたものは次の日（または月）には無効になるのか、ということ。次にそれを使えば副作用が出るのか、ということ。私の答えは二つとも「否」である。たとえば昨日まで有効だった薬が今日は効かないということはありえないし、副作用の問題も同様である。しかも医者でも薬剤師でも期限中は薬効が１００％あると信じている。実際には大抵の抗生物質は期限の最終日に薬効が８５％以上あれば合格なので（種類によるが）、逆にいえば期限前は最低力価以上あることになる。&lt;br /&gt;さて、この有効期限がやがて他の薬品、特にビタミン類にまで拡大され、さらに食品に拡大されていろいろな問題をひきおこした。&lt;br /&gt;その一つが前述の、昨日までよいものが期限をすぎればもう食べられなくなるという迷信であろう。食品の変化は薬よりも条件が多い。調理の材料、、品質、人員、場所、さらには空気条件まで影響してくるから、賞味期限と言うのは「お上」で決められるものではなく、多分に会社または店の経験と「良心」に負うところが大きい。保存条件も\まちまちで、さらにコンビニのように販売場所が分散している場合、配達までの時間、条件も影響するだろう。それを一律に賞味期限（弁当では時刻まで決められているらしい）をきめるのがそもそも不合理ではないか。店としては少しでも回収したい気になるのが当たり前なのに、値引きすればブランドの信用にかかわるとか、消費者がそれを待って正規の買い物をしないとか理由をつけて見切り販売を規制する。彼等の頭にあるのは会社の利益のみで基本的に消費者を馬鹿にした考えにもとづいている。そして結局委員会の指導により売れ残りの１５％の代金を本社が負担することにおちついた。&lt;br /&gt;しかし、貧乏人は考える。売れなかった分はどうするのだろう。答えは「まるごとゴミ箱に捨てる」のである。かくて年間６５０トンの十分食べられるが賞味期限という化け物数字を過ぎた弁当がゴミ箱に捨てられる。店が損するのは変わらない。最近此の種のたべものは出来るだけ回収するようにと業界が提唱しているがそれでも目標は従来４５％廃棄していたのを２２%に減らそうというだけ。神様が怒る前に日本人の先祖がまず怒るべきだろう。&lt;br /&gt;ところで、去年から激増した、住むところでもなく、収入が僅かしかない路上生活者（昔はルンペンと称していたが、現代は企業と社会が意図的に作り出している）が、このまるごとゴミ箱に捨てられた弁当を「拾って」食べたらどうなるか、と貧乏人は考えてしまう。&lt;br /&gt;理論的には、ゴミ箱が店の中にあるあいだは、店の所有物だからそこからとりだせば窃盗になるのではないか。アフリカの餓民に何千万ドル寄付しても目の前の餓えた同胞には手を差し伸べることもできない。妙な世の中になったものだと思う。　　　　　　　　　　　　　　　　　09/07/25&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-8814983847083347186?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/8814983847083347186/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=8814983847083347186' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/8814983847083347186'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/8814983847083347186'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2009/08/blog-post.html' title='見切り販売騒動'/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2915658114024643012.post-6473982506746745402</id><published>2009-07-21T23:49:00.000-07:00</published><updated>2009-07-21T23:53:57.250-07:00</updated><title type='text'>9721 バーゼルから（２）</title><content type='html'>ZurichからBazelへ帰るべく、自動切符売機で切符を買って出口から切符を取り出そうとしたら、後ろから肩を叩く人がいる。振り返ってみると小柄な日本人らしいおばさんがニコニコして頭を下げている。手に何か書いた紙切れとお札を持っているが、二、三漢字があるほか‘かな’ばかりで読めない。英語で話掛けて見たが頭を振るだけ、（英語が通じないのだ！）紙切れの中にZurich 中央駅があったから切符を買って下さいませんかといっていることが分かった。多分飛行機で着いたばかりだろう。同じ東洋人だから（あるいは日本人と思ったのかも知れない）安心したのかも知れないが、事情は彼女が考えていたほどスムースには進行しなかった。彼女が持っていた紙幣はそれこそ手が切れるような、銀行からおろしたばかりのま新しいものなので自動販売機がうけつけないでもどったのだ。手まねで別の紙幣はと聞いたら財布を見せてみな新品だということを示すだけ。仕方ないから私の古紙幣と交換してやっと切符を手に入れた。行き先はGrindelwald、ユンクフラウへ行く中継駅である。途中までおなじ線路を走るから一緒にのって、万国共通語で聞きだした結果、彼女は｛独り｝で憧れのユンクフラウ付近をハイキングしてくるのだという。予定は22日間。私のほうがたまげた。最近、女性の一人旅も珍しくないが、キャリオンの鞄一つで２２日もハイキングするのはいいとして、英語も通じないでどうするのかなあと心配になった。しかし、彼女は平気である。それに始終ニコニコしている。それを聞くと鞄から紙切れを一杯とりだした。日本字とドイツ語の対訳みたいで用事はこれで全部達成できるのだろう。&lt;br /&gt;どういう人だろうと想像する。子育てがすんで自由になったから、かねてあこがれていたユンクフラウへいって付近をあるきまわって見ようとおもいたったのだろうか。登山用の折りたたみ式の杖までもっているからまあ大丈夫だろう。乗り換え駅で彼女は相変わらずニコニコと手を振って降りていった。思わず心の中で&lt;br /&gt;Have a nice journey “！&lt;br /&gt;と叫んでしまった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（以上、Basel 在住の孫の嫁の最近の経験談。心配する前にうらやましいと思ったのは私にもそういう素質があるからかも知れない。）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-6473982506746745402?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/6473982506746745402/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=6473982506746745402' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/6473982506746745402'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/6473982506746745402'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2009/07/9721.html' title='9721 バーゼルから（２）'/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2915658114024643012.post-8112586162214932129</id><published>2009-07-20T23:29:00.000-07:00</published><updated>2009-07-20T23:31:24.917-07:00</updated><title type='text'>追い出す</title><content type='html'>京都弁で「いらっしゃい」を「おいでやす」という（そうだ）。東京の人には「おいだす（追い出す）」と聞こえるからはじめての人はちょっと戸惑う。ところが先日、実際に有名食堂から追い出された経験をした。&lt;br /&gt;ある人の招待で小さいが有名な食堂へ行った。長年の習慣で約束の時間５～10分前には着くようにしているが、この日、電車の接続がよすぎて15分前に着いてしまった。おもて通りに面した小部屋で料理人が二人シュウマイを作っており、奥のほうのカウンターに職員が一人いるだけ。&lt;br /&gt;「何か御用ですか」と聞く。&lt;br /&gt;「５時に招待されているのですが」&lt;br /&gt;「いえ、、うちは５時半からです」&lt;br /&gt;「あ、そう。でリンさんがリザーブしていると思いますが」&lt;br /&gt;「ありません」&lt;br /&gt;「じゃ、10人ぐらいだと思うが」&lt;br /&gt;「10人なら１テーブルありますが、李さんです」&lt;br /&gt;「あ、それでしょう。まだ早いようですね」&lt;br /&gt;「５時半開店です」&lt;br /&gt;「じゃぁ、それまで待っていますか」&lt;br /&gt;「お客さんは５時からです。まだ１５分あるから、そこら辺で散歩して下さい」&lt;br /&gt;という次第で「まだ準備中ですから暫くお掛けになって下さい」と言うのでもなく、店を追い出された。&lt;br /&gt;実は、招待を通知した係りは５時半になったことを後で知ったのだが、私に通知しなかったのだから非は当方にあるのだがそれでもねーと思わざるをえない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それにつけて感じるのは、日系デパートのエレベーター嬢、私の知る限り彼女らの所作は30年来全然変わっていない。係りは当然何代目かになると思うが。&lt;br /&gt;ついでに去年の夏、立山へ行った時の事を思い出した。、売店の壁に気に入った暖簾があったので、それを下さいといったら、手元の在庫を探して、&lt;br /&gt;「お客様、申し訳ありませんが、在庫がありませんから他のでいかがですか」という。&lt;br /&gt;「じゃ、そこにあるのを売ってくれませんか」&lt;br /&gt;「いえ、あれは見本でもう２ヵ月そこに曝していますから、色も少しあせているかもかもしれません」&lt;br /&gt;「いや、見たところが色はまだしっかりしているようですね。それをもらいます」&lt;br /&gt;「少々おまち下さい」&lt;br /&gt;と主任となにか話していたが、やがて戻ってきて、&lt;br /&gt;「あのーお客様、見本でしたから5％引きいたします」&lt;br /&gt;と結局消費税の分安くした。たいした額ではないが、客に与える印象は雲泥の差だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一般に華人は商売がうまいとよく言われるが、この二つの例からどちらがうまいか、歴然としていると思うのだが・・・。　　　　　　09/07/02&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-8112586162214932129?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/8112586162214932129/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=8112586162214932129' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/8112586162214932129'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/8112586162214932129'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2009/07/blog-post_20.html' title='追い出す'/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2915658114024643012.post-7184130434092744297</id><published>2009-07-20T23:22:00.000-07:00</published><updated>2009-07-21T01:00:28.650-07:00</updated><title type='text'>台北で住所を探す</title><content type='html'>台北で住所を探す&lt;br /&gt;廖　継思&lt;br /&gt;台北市に長く住んでいる人でも、「どうも住所がみつからない」とこぼすことがある。数年前、私はパリと東京の住所表示について書いたことがある。東京の「町」を中心にした住所と西欧の「道路」を中心とした住所を比較した一文だが、皆さんあまり関心がなかったようだ。&lt;br /&gt;東京に限らず、日本の都市は「町」を中心に表示している。普通、市→（区）→町→丁目→番地で構成されている。近年、アパートやマンションや高層ビルができてからさらに細かく「－１、」とか「－２」などで区切っている。私は東京しか知らないから東京のある友人のアドレスを例に取ると、&lt;br /&gt;たとえば　『栄町一丁目三番地十の３』　は手紙の表記では面倒だから&lt;br /&gt;　　　　　〈栄町１の３の10の３〉または＜栄町１－３－10－３＞&lt;br /&gt;と書いて問題はないが（配達はプロがやっているから）、実際に訪ねていく場合を考えるとそう簡単にはいかない。地図で探して栄町が見つかったとしても３番地がそう簡単に見付からない。地図ではあらゆる番地が載っているわけではないし、３番地のとなりが２番地とか５番地とは限らないからである。幸いにして見付かったが今度は十の意味が分からない。アパートの棟の番号なのか、マンションの階なのか、現地に行ってみないと皆目分からないのだから。だから、かれこれ40年くらいつきあっている友人なのに私はまだ一人では彼の家にたどりつけないでいる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;前置きが長くなったが、アメリカや西欧では道路表示が基本だから、道路の在処（ありか）さえ見付かれば道を歩きながら目的の家に辿りつけるのである。長々と書くよりは実際に台北を例にとってみよう。&lt;br /&gt;台北の住所表示は、　&lt;br /&gt;路（街）→段→巷→弄→階（楼）→番号　&lt;br /&gt;の順になっている。&lt;br /&gt;路と街は基本的に同じだが、道幅によって分けられ、「路」は大きい道路、やや狭い道路は「街」になる。長い路はさらに段で区切ることがある。段の区切りは大抵広い道路に出会ったときに起こるからなれると見当が付く。市によっては段の代わりに一路、二路とするのもある（高雄市など）。アメリカでは普通段で区切らないので番号が４桁にもなるのも珍しくない。一度、5700台の番号に出合ったことがあったが、歩道の角に大きな柱に大きな字で表示していた。車社会だから遠くから、走っていても見付かるようにしているのだろう。&lt;br /&gt;「巷」と「弄」は共に路地だが巷は路または街から分かれた路地、弄は巷からさらに分かれた路地である。路や街に面したところでは当然巷や弄がないことになるし、短い路や街では段は不要である。そして、いよいよ番号に辿りついた。そこが多層建築ならば表示は更に階（またはＦ，正式には楼）を表示することもある。&lt;br /&gt;次に重要なのは路（または街）が南北や東西に分かれる点である。その分岐店は中山路（南北）と忠孝（東西）である。地図でこの二つの道路に線を引くと台北が東、西、南、北、に四分されることに気が付くだろう。&lt;br /&gt;たとえば、東西方向に走る南京路は中山北路で南京東路と南京西路に別れる。同様に南北を貫く中山路は忠孝路で中山南路と中山北路にわかれる。&lt;br /&gt;最後に番号にも規則がある。あらゆる番号は上記の分岐線から始まる。つまり南京西路も南京東路も、中山路から数えはじめ、起点に立って東に向け左方が奇数１，３，５，７・・・、右方が偶数２，４，６、８・・になる（西に向けば左が偶数右が奇数になる）。南北方向の道路ならば、北に向かって左側が偶数、右側が奇数になる。南に向けば左が奇数、右が偶数になる。建物の大きさが違うので、偶数番号の向かいが近い奇数とは限らない。途中で路地（巷）に出会えばその巷にもつづき番号がつく。たとえば15号の次の巷は17巷で、その次の家（またはビル）の番号は19号となる。弄の場合も同じ。この方法の利点はあと何軒で目的の家に着くかの予想ができることである。最後に実例である住所を探して見よう。&lt;br /&gt;　＜台北市延平北路二段14４巷５号＞へ行こうと思う。&lt;br /&gt;○        北路というから北半分にあることが分かる。&lt;br /&gt;○        延平北路は重慶北路という大きな通りと平行する南北の通り。&lt;br /&gt;○        二段ははじめに近いあたりだろう。多分南京路から二段になるだろう。&lt;br /&gt;○        144巷だから進行方向の左側だろう。&lt;br /&gt;○        弄はないから目的の家はこの巷に面した家にちがいない、そして５号は、表通りから入って３軒目のはずだ。&lt;br /&gt;こうして簡単に目的の家が見付かった。&lt;br /&gt;余談になるが、地図をながめているといろいろ面白いことが見付かる。&lt;br /&gt;第一にあらゆる都市に「中正路」があるのに台北市には「中正路」がない（士林にあるのはあとで台北市に編入されたからである。いや、台北市にもあったのである。何故なくなったかというと、もともとは現忠孝路を経て現八徳路と続く台北市の目抜き通りが中正路だったが、この路がまっすぐになりずっと東に伸びると途中で「段」を設けて中正路を切らなければならない。それではあまりに「恐れ多い」からというわけで、忠孝路に改め別に八徳路を設けた。おべっか文化は昔から健在だった。ちなみに、おべっかは中国語では「拍馬尻」という。現状をみているとまさにずばりではないか。&lt;br /&gt;第二に、大きな道路が続いているのに名称がちがうところがある、新生南路と松江路、中山南路と羅斯福路である。これは後で開通したか直線にしたためだった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;さあ、あすからあなたも道を探すベテランになる。頑張って！&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;もう少し余談を進める。&lt;br /&gt;「町」表示の不便さは外国人ばかりでなく東京人でも痛感している。だからカーナビの普及率はおそらく世界でもトップクラスだろう。ある年、東京で友人を訪ねての帰り、電車の方が便利だと言ったのに、友人が親切に送ってくれるというからその精密なカーナビ（電話番号だけで連れて行ってくれた）で泊まっている家の近くまで行ったが、夜だから普段見慣れている家ではない。道路も新開地だからどの家も同じように見える。幸い、電話で連絡してそこに住んでいた学生が、思いがけない方向から現れて案内してくれてやっと家に入れた。カーナビとて万能ではないことを知った。困ることに日本の家々には表札というものがあって、ご丁寧に家中の人の名前が全部書いてある。この家にはおばあさんと主人夫婦と子供が３人いることが分かってしまうから、私が悪人ならば、いろいろ悪事に利用できそうだなあと感じてしまう。台北には表札というものを見かけない。アメリカでもヨーロッパでも同様なのだ。個人情報が取りざたされる現在、そのような表札をみる度に余計な心配までしてしまう。もっと困るのは下宿（または寄宿）している場合、住所にだれそれ方と書かないと配達されないことがあるのである。表札に載っていない宛名だからだそうだ。今更道路表示にあらためることも出来ないだろうから、日本人は永遠にこの不便と付き合って行かなければならないようだ。　　　　‘09/06/25&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-7184130434092744297?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/7184130434092744297/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=7184130434092744297' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/7184130434092744297'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/7184130434092744297'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2009/07/blog-post_5473.html' title='台北で住所を探す'/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2915658114024643012.post-196402427525164808</id><published>2009-07-11T04:09:00.000-07:00</published><updated>2009-07-11T04:12:12.959-07:00</updated><title type='text'>漢 字 は 語 る</title><content type='html'>漢字の元祖とされる甲骨文字の起源は７～８０００年前まで遡るというが、少なくともここ１０００年間漢字はほとんど変化がなかった。それが、二次大戦後ほぼ時を同じくして、漢字の二大使用国が漢字改革を行った。かくして、現在世界で通用している漢字は台湾の「繁字体」、中国の「簡字体」及び日本の「日本字体」の三種類がある。中国と日本はそれぞれの字体を知っていれば差し支えないが、台湾の日本語族は三種類ともできないと不便になった。難しいことは抜きにして、読むだけでも一大事なのである。&lt;br /&gt;ところで、この時の文字改革だが、どうも不徹底であるか、行き過ぎがあったり、従来の系列から外れて可笑しくなっているのが間々ある。&lt;br /&gt;しかし、改革をやった先生方はちゃんと理由があったにちがいないが、よく見ると、その後の世相から先生方に先見の明があったと思われるのがあって面白くなった。&lt;br /&gt;その１．智慧→知恵　　　　新しい教育を受けた世代は知識は豊かになったかも知れないが考えることがなくなった、つまり智慧がなくなったとしか思えない。結果、言わないでもいいことを言ったり、口をすべらせたりして風格を失っている。&lt;br /&gt;たとえば「大智は大愚に似たり」ということわざは「大知は・・・」になって元来の意味を失うだろう。&lt;br /&gt;その２．簡体字では「愛」から「心」をとってしまったので、「欲する」意味ばかりが強調されて世の中がぎすぎすして、人間が心を失っている。それが伝染して「誰でもいいから殺したくなった」と兵器でいったり、幼児を殺したりする世相が出現している。&lt;br /&gt;その３．「世論」を「よろん」と読ませる類。「世論」ではどうしてもばらばらで、まとまりがない井戸端会議のイメージになる。昔からある世話、世間、世界を知っている人なら「せろん」と読みたくなるではないか。事実、閩南ごならば「世間」は「セーカン」、「世界」は「セーカイ」なのでわたしは今でもつい「世論」を「セロン」と読んでしまう。&lt;br /&gt;きりがないからこのへんで止めるが、最後に文字遊びを一つ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;明の末代皇帝が、ある日お忍びで町へ出た。文字判断をしている屋台があったので、近づいてやおら筆をとると、「友」と書いた。&lt;br /&gt;易者；「ふーむ、反になりそうですなあ」。&lt;br /&gt;皇帝；「いや、これじゃない「有」だ」。&lt;br /&gt;易者；「大明が半分いかれていますなあ」&lt;br /&gt;皇帝；いやそのユウじゃない、「酋」のユーだ。&lt;br /&gt;易者；「ますますいけません。至「尊」（皇帝の意）の足がありません」&lt;br /&gt;こじつけだが、漢字とはこんな遊戯もできるから「官」が「民」をいじめるカッコウの材料になったらしい。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-196402427525164808?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/196402427525164808/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=196402427525164808' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/196402427525164808'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/196402427525164808'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2009/07/blog-post_9863.html' title='漢 字 は 語 る'/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2915658114024643012.post-8705837889326064194</id><published>2009-07-11T03:39:00.000-07:00</published><updated>2009-07-11T03:43:25.153-07:00</updated><title type='text'>私 の １９４９</title><content type='html'>1949年は中華民国が消滅し、中華人民共和国が誕生した年である。その経過と真相は、60年経った今でもはっきりしない部分がかなりある。&lt;br /&gt;先日意外にも「私の1949」と題するドキュメンタリーが東森TV から放映された。出演者は何人もいなかったが、われわれが見たこともない映像がかなり入っている。また多分今まで発表できなかったことも少し報道されている。&lt;br /&gt;500万の大軍を抱えていた国民党軍がそれこそ将棋倒しに敗退したのは、共産軍が来る前に司令官が部下を率いて集団投降した話は昔から数限りなく聞いているが、上海を攻撃に来た共産軍はたったの1400人程度だったと聞くと、全く信じられない。人心の向背がよく分かるし、内戦の特徴でもある。敵に利用されるのをさける為逃げる部隊はまず大きな穴を掘り軍馬を射殺して埋めた。埠頭に殺到する難民の群れ、ロープをよじ登る難民、トランクを海に投げ捨てる兵士（逃避行だから金の延べ棒が入っているかも知れないのに）、ロープに群がる難民に向かって機銃掃射する兵士、ロープから海へ落ちる民衆、どの場面をとっても地獄の再現に近い。12年前、日中戦争で南京が陥落した時？十万人日本軍に虐殺されたというが、案外このような場面が繰り広げられていたかも知れない。上海の埠頭で演じられた射殺、圧死、の数字は当然ながら記録にない。&lt;br /&gt;共産軍が南京に入城したのは4月23日、上海占領は５月27日だったから上海での混乱は少なくとも１ヵ月は続いたはずだが、国民党軍や難民は一度に上海から逃げたわけでもない。最初に台湾に逃げてきたのは空軍だった。それも軍人だけでなく、家族も軍用機に乗せて真っ先に飛んできたのである。中にはダンサーもたくさんいた。その頃台湾各地に「新生社」という空軍のクラブができダンスを始めた。その後も四川や広東などからぞくぞく台湾へ逃げてきた。台中一中の後輩で軍官学校に入っていた学生は成都から広東、海南島をへて漸く台湾にたどりついた。軍や政府機関は学校を占領して住みついたが、民衆は空地があれば掘っ立て小屋を建てて雨露をしのいだ。空地という空地がすべて不法占拠され、学校までが一時休校になるなど、折角戦後の経済崩壊一歩手前で再建した経済がふたたび「反攻大陸」の名のもとに搾取の対象になった。私は当時台中の学校で教員をしていたが、それら敗残兵を収容するために教室を明け渡し、学校は夏休みを前倒しして休校した。椅子や机が燃料にならなかっただけ幸いだったというべきかも知れない。台湾の人民はいつ共産軍が海を渡って攻めてくるかとおびえる毎日だった。広々した旧第三大隊の練兵場は格好の難民キャンプになった（現練武路）。また台中市を貫通する二つの川、柳川と緑川の両岸は広い芝生道になっていたが忽ち掘立て小屋で埋め尽くされた。足らなくなると川側に向けてつっかい棒で伸ばしていった。難民キャンプ光景は1980年代まで続く。難民総数は200万人を越えたというが正確な数字は未だに発表されていない。&lt;br /&gt;国民党の窮状を救ったのは、あくる年（1950）の６月25日に勃発した朝鮮戦争だった。アメリカは蒋介石軍の投入を断ったが、台湾海峡に第７艦隊を派遣して台湾を防衛した。&lt;br /&gt;人民が自力で解決しなければならなかった難民キャンプが片付くのは20世紀も終わろうとしていたころだった。陳水扁が市長になったとき、難民キャンプになっていた日本人墓地を第14，15公園に更新したのだ。がそこまでの課程で莫大な税金が注ぎこまれている。たとえば、私が現在の住所に移ってきた1970年代、忠孝東路三段の建国路以東は車がやっと通れる道が一本残されている程度で、まわりはすべて不法建築だったし、金山路も完全に通じていなかった。現中央図書館は総統府のまん前にありながら難民キャンプと化して何十年、197？　年にやっと回収した。そのキャンプが燃えた夜、たまたま私はそばを通ったが、景気よく長い間燃えていた。噂によると蒋経国が火を点けさせたのだという。&lt;br /&gt;ドキュメントの出演者の一人は、町へ買い物に行ったきり軍隊に拉致されて一緒に台湾へ渡ってきた。彼は台湾で退役、その子孫が大陸の故郷へ帰ったのは1988年、親戚訪問のための大陸行きが解禁した年だった。&lt;br /&gt;もっとドラマチックなストーリーもある。大連で結婚式の当日に国民党軍に拉致された某氏は台湾で退役結婚し、その相手の女性も結婚して偶然やはり台湾にわたったが最近それぞれ配偶者をなくしてまた偶然知り合い正式に結婚式をあげたという。50年の歳月が流れていた。それでもかれは幸運だったのかもしれない。共産軍の捕虜にならずにすんだし、なによりも朝鮮戦争で人民志願軍にならずに生き延びたのだから。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-8705837889326064194?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/8705837889326064194/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=8705837889326064194' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/8705837889326064194'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/8705837889326064194'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2009/07/blog-post_11.html' title='私 の １９４９'/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2915658114024643012.post-1790154726657223785</id><published>2009-07-05T02:46:00.000-07:00</published><updated>2009-07-05T02:48:22.226-07:00</updated><title type='text'>「司馬遼太郎の坂の上の雲を読む」をよむ</title><content type='html'>NHKで大河ドラマに「坂の上の雲」を放映するというので、入院の機会に読み直した。三度目である。しかし最近それは大河ドラマではなくてスペシアルドラマであることがわかった。今年11月20日から年末にかけて計５回、更に2010年と2011年にまたそれぞれ４回、三年がかりで（合計13回）放映するという。&lt;br /&gt;こんな題材で司馬遼太郎さんの伝えようとしていることを表現できるかと疑問に思っていた矢先、四月はじめの「アジアの一等国」ドラマでとんでもない偏向報道を見せつけられて、ますますその感を深くした。&lt;br /&gt;そしてタイミングよく「坂の上の雲を読む」という本が出版された。’09年４月の刊行である。著者は谷沢永一、関西大學名誉教授、「宮本武蔵の読み方」などの本がある。&lt;br /&gt;この本で教えられたことがたくさんある。僕たち凡人は小説の筋を追うのに一生懸命で往々著者の意図するところを見逃してしまう。それを谷沢氏はハイライトを再現して見せてくれる。おかげで「坂の上の雲」に対する認識が深まった。同時に大河ドラマでは司馬さんの意図するところは十分に表現できないだろうと感じた。この小説には明治の社会、国家の運営、民間の思想（とくにメディアのあり方）、軍部に対する批判が随所に出てくる。それも悪意の中傷ではなく過去の欠陥から将来の反省への手がかりを伝えたかった部分が多々あるが、NHKの偏向報道性格からすればどうもまた日本が侵略をした帝国主義者だったと自虐的に表現されそうである。、そもそも、司馬さん自身が、この小説は映画にしないでくれと望んでいたというから、このことを予期してそういう意向を伝えたのかも知れない。&lt;br /&gt;「坂の上の雲」は大部分が日露戦争をテーマにしているが背景は日本近代史そのものである。長くなるので一々引用しないが、おもな項目を次に並べる。興味ある人は大河スペシヤルが放映される前にこの本を読むことをお勧めする。もっと興味がある人は「坂の上の雲」の原作を合わせ読むともっとよいだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;・    日露戦争の原因は満州と朝鮮である&lt;br /&gt;・    日本は日露戦争ではじめて「近代」の恐ろしさに接した&lt;br /&gt;・    日露戦争は日本が勝ったのではなくロシアが負けてくれた&lt;br /&gt;・    日露戦争に勝ったことで日本軍部がつけあがった&lt;br /&gt;・    日露戦争に勝ったことで思い上がった日本軍部と国民&lt;br /&gt;・    情報を集めるだけで活用しなかった日本軍部の体質&lt;br /&gt;・    陸軍大學のエリートが国を誤った官僚軍人の温床&lt;br /&gt;・    陸大の成績の順位が昇進の標準になった（後に東大法学部の順位が官僚昇進の基準になる）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;など。&lt;br /&gt;私なりの乏しい知識では未だに分からないことが一つある。日本軍が開発した三八式小銃は精度がよいという評判だったが日露戦争には間に遭わず、日露戦争はほとんど三○式小銃で戦った。精度がよかったのは、一本一本が職人の名人芸にたよっていたからで、狙撃用には実際にテストして性能のよいものを選んだという。問題はその後３0年間改良を加えるでもなく後の太平洋戦争でもそれを標準装備として使っていた点である。そして軍部は、特に陸軍は精神で勝てると思い、実際にもその方向に進んでいく。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;冒頭に書いたように、私が「坂の上の雲」を読むのはこれで三度目である。こんなに「真面目に」読んだ小説は他にない。最初は日本海海戦の経過を追うために読み、二度目でようやく旅順戦と奉天戦の実態を知り、三度目で司馬さんが伝えたかった真意が漸く少し分かった。だから谷沢さんの言う「日本が勝ったのではなくロシアが負けてくれたのだ」がよく分かった。われわれも含めて長い間日本軍部はこれを大勝利として国民に教え、結果として国を誤ったとしか言いようがない。本当に勝ったのは日本海海戦だけだったのに。&lt;br /&gt;ここまで書いて、実際には相手が不手際で負けてくれたのに、勝ったつもりで有頂天になった例が身近に起こったことを思いおこした。民進党の選挙である。詳しいことは省略するが。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;全編を通じて東郷さんが言った名言が心に残っている。　&lt;br /&gt;　＜海戦では味方に落ちた砲弾しか分からないから当方の損害ばかりが強調される心理になる。実は敵にも損害を与えているはずなのにそれは見えない。その心理状態を克服した方が勝者になるのだ＞&lt;br /&gt;戦争ばかりでなく、あらゆる場面に通じる真理だと思う。&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　“０９/０６/１２&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-1790154726657223785?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/1790154726657223785/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=1790154726657223785' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/1790154726657223785'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/1790154726657223785'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2009/07/blog-post_05.html' title='「司馬遼太郎の坂の上の雲を読む」をよむ'/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2915658114024643012.post-7552762417164588348</id><published>2009-07-05T02:35:00.000-07:00</published><updated>2009-07-05T02:36:36.922-07:00</updated><title type='text'>いま、ローマ人の物語が面白い</title><content type='html'>ローマは永年にわたってヨーロッパとアジアの一部を支配した大国で、その影響は今日まで至るところに残っている。身近なところではアルファベットや英語やフランス語などの単語とか学名である。。&lt;br /&gt;ローマ帝国の盛衰については、ギボンの「ローマ帝國衰亡史」という大作があり、知識人必読の本の一つに数えられているが、凡人にはとてもそれを読破する基礎と気力がない。&lt;br /&gt;幸い塩野七生（しおの・ななみ）が十五年かけて物語風に書いた全15巻の「ローマ人の物語」が文庫版になった（2003年、6月）ので早速買い求めて読んだ。前に椎間板ヘルニアの手術をした機会に第15冊まで読んだあと、なぜか毎年出版される本だけはそろえたが、読む方は停頓してしまった。今度の入院でまたとりあげて、気が付いてみたら10冊もよんでいた。いま、帝政になって約二世紀、いわゆる賢帝の時代が終わろうとしているところである（第2６冊）。&lt;br /&gt;「ローマ人の物語」は塩野七生さんが言っているように学術書ではないが、ローマの生い立ちと変遷は忠実に辿っている。その長い歴史の中心人物はなんと言っても執政者（後半では皇帝）で、時代を作っていった立役者であった。しかし、その背景とか施政の考え方が随所に現れるのが面白いし、定説を覆すような解釈も入るのがいい。たとえば悪い皇帝の代表と思われていたネロは、たしかに妻や義母を殺した点では悪党だが、国家の運営ではちゃんと皇帝の責務である「安全の保証と食物の確保」は実行した。&lt;br /&gt;ローマは今から約2800年前、BC753年に建国された。中国では周の幽王の時代、日本はまだ縄文時代の真っ只中にいた。ローマ人の祖先はトロイ戦争で生き残った一人のトロイの勇士ということになっている。どの国でも建国には必ず神話がつきまとう。それが往々何百年もブランクが出てその埋め合わせに苦労する（日本も神武天皇は何百歳も生きないと辻褄が合わなかった）。ローマも例外ではなく、建国の時期とトロイ戦争の間には400年の隔たりがあるがそこは矢張りうまくつくろったようだ。&lt;br /&gt;分かっているところでは、初代の王ロムロスは羊飼いの集団のボスだったらしい。この集団は、技術的にすぐれて（鉄器を使っていた）エトルリア人（北方）や航海に長けたギリシャ人（南方）が見向きもしなかったローマの地に移り住んだ。ローマという地名や民族名、国名は第一代の王・ロムロスに起因する。初期のローマ人は男が多かったのか、時々隣のエトルリアに攻め込んでは女を略奪した（拉致？）。このため何度も戦争になったが、四度目の戦争では略奪された女が中に入って和解する。夫（ローマ人）と親・兄弟（エトルリア人）が戦うのを見るに忍びないという理由で。両国は和解し平等な合併国家を形成する。&lt;br /&gt;（注）今日、西洋の結婚式で花婿が花嫁を抱き上げて敷居をまたぐ習慣は当時の拉致の習慣の名残だという。台湾でも、花嫁は結婚式の翌日里帰りするが、そのとき実家の兄弟や友人が婚家へ花嫁を迎えに行くのは拉致された花嫁を奪い返す意味があるといわれている。して見ると古代では略奪婚が一般的だったのかもしれない。&lt;br /&gt;初期のローマ王はいずれも優れた人だったようで、ローマ一千数百年の基礎はほとんどこの最初の五百年に形成されている。たとえば政治と宗教の分離、元老院と市民集会の設置、法の制定など、政治形態がその後王政から共和政になり更に帝政に変わってもこの原則は守られた。一言でいって、ローマの王や執政官、皇帝の最大にして基本的な責務は、国家の安全を守り人民の食を確保することにあった。なぜ、&lt;br /&gt;　　知力ではギリシャ人に劣り&lt;br /&gt;　　体力ではケルト人に劣り&lt;br /&gt;技術力ではエトルリア人に劣り&lt;br /&gt;経済力ではカルタゴ人に劣っていた&lt;br /&gt;ローマ人だけが広大な地域を領有して大帝国を築き、長期にわたってそれを維持できたか？それを書きたかったと塩野七生さんは言う。&lt;br /&gt;　　&lt;br /&gt;文庫版は一冊約200ページ、ポケットに入れても、ハンドバッグに入れてもじゃまにならない程度のサイズ、物語方式だから読みやすいが、登場人物が皆ラテン読みなので慣れない点もある。たとえばシーザーはカエサルになっている。アルファベットではＣａｅｓａｒ。また人名も長ッたらしいがこれも挑戦の一つ。読み進む他ない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;政治と宗教の分離だが、ローマが強大を維持できた要素の一つがローマ人の多神教だったのではないかと私はひそかに思っている。なにしろ何十万ともいわれる神々がいたから、他の宗教を敵視したり、他の神を信じる人を自分の宗教に改宗させようとしない、抱擁力をもっていた。こんな神様もいたという一つだけエピソードがある。夫婦の神様もいた。&lt;br /&gt;夫婦喧嘩になると相手にしゃべる機会を与えないように二人が競って喋り捲る現象は世界中同じらしい。これじゃどちらに理があるのか分からない。しゃべり疲れると夫婦して神様のところへいく。神様の前では一度にしゃべるのは一人という原則がある。一方がしゃべっている間他方は聞いていなければならない。つまり冷静にならざるをえない。すると「ふーむ、あいつの言うことも一理あるなあ」と思うかも知れない。かくして帰るときは腕を組んで仲良く帰ることになる。審判員は「かみさま」なのである。&lt;br /&gt;今読んでいるのはいわゆる賢帝時代が終わろうとしているＡＣ130年代前後で、キリスト教がまばらにローマ人のなかに侵透し始めた時期であるが、宗教的には一神教であるユダヤ人ともすでに何百年にもわたって共存してきた。何度かユダヤ戦役があったがみなユダヤ側がしかけた戦争だった。&lt;br /&gt;（今日に至ってもユダヤ教問題は解決されていない）&lt;br /&gt;だからまだローマの衰亡には距離があるが、衰亡のはじめは一神教のキリスト教を公認してからではなかったかと思うことがある。コンスタンティヌス帝はキリスト教を最初に公認したが、帝は他教を禁ずることはしなかった。ＡＣ392年にテオドシウス帝が異教排除をするまでの80年間ギリシャ、ローマ、シリア、エジプト、キリスト教、ユダヤ教各宗教は共存していたのである。この間ローマ人民は平和と繁栄を享受し、歴史家によれば、地球でも稀なよき時代であったという。&lt;br /&gt;よき時代とは、皇帝は国（人民）の安全と食べ物を保証し、人民はローマ市民であると否とにかかわらず、安全且自由に国内を旅行出来、皮膚の色や身分で差別されることなくローマ人が造成した街道、橋、水道などのインフラストラクチャー（インフラ）を利用できた。全版図で８万キロメートルに及ぶ公道、無数の橋、都市に流れ込む水道其の他を今日でもわれわれはみることができる。それらはほとんどがローマを守る軍団兵によって造成されたものなのである。破壊された多くはキリスト教徒の偏見（異教徒の偶像崇拝）とメンテナンスの不備が原因であった。&lt;br /&gt;そういった記述を呼んでいると、今日のイタリア人が本当にローマ人の後裔なのか、という感慨にしばしばとらわれた。その間の詳細をこの短文でつづることはとてもできないから、興味ある人は原作を読むことをおすすめする。&lt;br /&gt;今よんでいうのはＡＣ４世紀のころ、いよいよローマが衰亡への道を転がり始める時代にかかったところ。未出版の分を含めてあと何冊くらいあるか、いつ完了するか分からないが。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-7552762417164588348?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/7552762417164588348/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=7552762417164588348' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/7552762417164588348'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/7552762417164588348'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2009/07/blog-post.html' title='いま、ローマ人の物語が面白い'/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2915658114024643012.post-2135368784070154600</id><published>2008-08-08T23:52:00.001-07:00</published><updated>2008-08-08T23:52:54.504-07:00</updated><title type='text'></title><content type='html'>ミレー展&lt;br /&gt;５月３１日から始まったミレー展が連日満員の盛況を呈している。６月のはじめ、朝早く行ったのにすでに入場券を買う人と入場を待つ人が長蛇の列をなしていた。独りで行ったから２回並ぶことになり、諦めて帰ってきた。あとで知ったのだが、６５歳以上の人は切符を買えば並ばなくても優先的に入場できるし、一人だけ付き添いで一緒に入れる。もちろん付き添いも切符がいる。&lt;br /&gt;先日、娘が夜ならば少々並んでも大丈夫でしょうというので夕食後おもむろに出掛けた。あいかわらずの盛況。入場料が２５０元というのもまあまあだし、シニアーは半額の１２０元だった。台北にこんなに多くの美術愛好者がいたのかといぶかったが、いないよりは確かにいゝのだから文句を言う筋合いでもない。夏休みで学生が多かったのもいい現象にはちがいない。ただ、展示館がいささか手狭だった。これだけ来場するとは主催者も想像していなかったのかも知れない。&lt;br /&gt;ミレー展といっても実質はミレーの作品は１７幅だけであとは同時代のコロー、ルソーのものだった。もちろん、ミレーの代表作・晩鐘と落穂拾いだけでも十分見る価値はあったが。晩鐘などは世界を一廻りしてようやくオルレー美術館に落ち着いたいきさつがある。何度も転売されてニューヨークのメトロ美術館にあったのをフランスの富豪が大枚を払って買い戻したストーリーは感動ものであった。人々はこの二枚の絵の前に集まっていた。ルーブルを訪れる人がモナリザの部屋に集まるのと同じように。&lt;br /&gt;しかし、落穂拾いどころか、穀物の収穫さえ見たことがない世代には落穂拾いが理解出来なかったらしい。こういう声を聞いた。「ずいぶん貧乏だったんだね」彼ら、霞を食べている雲の上の連中は、落穂拾いが餓えをしのぐ手段に見えたらしい。実は、私たちの年代で田舎に育った人は喰うに困らなくても落穂拾いによくでかけた。拾ったものは鶏やアヒルの餌にしたり、子供はそれを焚き火の一角で手作りのポップコーンにしていた。基本にあるのは「もったいない」の精神だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;夜行ったのは正解だったようで、少なくとも小学校低年の団体がいないだけいい。ただ、解説の人でもガイドホンでも人名や地名を中国語読みにするのがなじめない。ミレーが「米勒」になるのはいいとしてバルビゾンが「巴比松」だともう分からなくなる。&lt;br /&gt;例によって、もらったパンフレットの日本語を読んでみた。大新聞社が主催し、連日超満員の入場者がいる催しにしては、日本語がおざなりである。どこかの大先生に依頼したのだろうが、あんまり恥を曝さないで欲しいものだと、いつものことながら思う。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-2135368784070154600?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/2135368784070154600/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=2135368784070154600' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/2135368784070154600'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/2135368784070154600'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2008/08/blog-post_9110.html' title=''/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2915658114024643012.post-9188891157779114501</id><published>2008-08-08T23:45:00.000-07:00</published><updated>2008-08-08T23:47:12.703-07:00</updated><title type='text'>ミレー展</title><content type='html'>&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-9188891157779114501?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/9188891157779114501/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=9188891157779114501' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/9188891157779114501'/><link rel='self' 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rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/6365315261153790795/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=6365315261153790795' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/6365315261153790795'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/6365315261153790795'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2008/08/blog-post_08.html' title=''/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2915658114024643012.post-8953644163087900260</id><published>2008-08-03T18:37:00.000-07:00</published><updated>2008-08-03T18:42:09.416-07:00</updated><title type='text'>お手並み拝見</title><content type='html'>お手並み拝見&lt;br /&gt;昨年、台北駅地下街で中、日、英３カ国語で書かれたパンフレットを入手して大いに愉しませてもらったが、あれは翻訳機で訳したものに違いないという結論にたっした。&lt;br /&gt;Ｂｌｏｇ　には翻訳機能が付いていることを発見したので、私が書いた文を翻訳させてみたのが以下の文である。&lt;br /&gt;　　原文：　冬、台灣に来る日本人観光客がよく聞く質問の一つに、「黒輪」がある。「黒輪」って何ですか？　食べ物ですか？　少し中国語を勉強した人は「ヘールン」と発音してみるが、さっぱり分からない。実は、これは台湾語で発音漢字を当てたもので、台湾語で読むと「オーレン」になるのである。どこかで聞いたような言葉だと思われる方もいるだろう。そう、「おでん」なのである。台灣語には「で」の発音がないから、近似音で「おれん」と聞き、それに台湾語の黒＝オーと輪＝レンを当てて「オーレン」をあてた。その字も発音もすっかり定着してしまった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　中国語訳；　在冬季、日本観光客来台灣是一個問題、我経常聴到的一個「黒環」。「黒輪」是什麼　？　食物是什麼？　誰的人学習中文、有点「埃爾蘭」嘗試宣告我不明白。其実這是立場台湾語韓元的讀音的漢字‘欧任’。某処在這我聴過的話一様、相信我　。&lt;br /&gt;以下略。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　英語訳；　　In winter ,Japanese tourists coming to Taiwan is a question。 I often hear one of the “black ring”。 “Black ring”, what?　 Food?  People who study Chinese , a little “herun” to try to pronaounse and I do not understand.&lt;br /&gt;(以下略)&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;さて皆さん、Ｇｏｏｇｌｅ君の翻訳を採点して下さい。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-8953644163087900260?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/8953644163087900260/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=8953644163087900260' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/8953644163087900260'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/8953644163087900260'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2008/08/blog-post_03.html' title='お手並み拝見'/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2915658114024643012.post-6308665683945181603</id><published>2008-08-02T01:52:00.001-07:00</published><updated>2008-08-02T01:52:51.947-07:00</updated><title type='text'>かき氷――次は</title><content type='html'>かき氷――次は？&lt;br /&gt;台北永康街のフルーツ・かき氷は、名物の一つになったが、ことしは大盛りのメニューで何度もNHKに取りあげられて一層評判が高くなった。一時は行列が付近の店の前まで伸びて、営業妨害になるので、店から抗議があって、店先は開けるようになったが。&lt;br /&gt;もともとは、豊作で有り余るマンゴーを利用して、かき氷の上にたっぷり載せたのが当たったわけだが、今年はフルーツの種類を増し、量も多くして４人でも食べられますをキャッチフレーズにしたら、また当たった。最近は模倣する店が増えてどこでもあるようになったが、「通」はやはりあの店でないとねーとこだわっている。模倣品の中にはミクサーで氷を粉砕した上に蜜せんるいをちらしたインチキ品もあるから要注意だが。&lt;br /&gt;永康街は食べ物の街と化した感がする。&lt;br /&gt;永康街で食べ歩いてお腹一杯になった若いカップル；　&lt;br /&gt;彼女：　「これからどこへ？」&lt;br /&gt;かれ：　「そうだなあ、ピンクアンへ行こう」&lt;br /&gt;彼女：　「えっ、ピンクアン？　絶対行かないから・・・」&lt;br /&gt;かれ：　「？？？」&lt;br /&gt;かれはピンクアンとは、「氷館」、つまりかき氷屋のつもりで言ったのだが、彼女はどうやら「賓館」（やはりピンクアンと発音する、ｘｘホテルの意味もある）と聞いたらしい。言い争っているうちにその「氷館」の前に着いた。&lt;br /&gt;「ほら、今日もながい行列だよ。永康街まできてここへこない理由はないだろう」&lt;br /&gt;半時間ぐらい並んでめでたく「大盛りかき氷」を二人で仲良くたべた。めでたし、めでたし。彼女、勘違いしたことで顔を赤らめたかどうか、伝わっていない。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-6308665683945181603?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/6308665683945181603/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=6308665683945181603' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/6308665683945181603'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/6308665683945181603'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2008/08/blog-post.html' title='かき氷――次は'/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2915658114024643012.post-597067998399568525</id><published>2008-07-13T19:06:00.000-07:00</published><updated>2008-07-13T19:07:37.466-07:00</updated><title type='text'></title><content type='html'>07/10　「おれん」にも市民権を&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;冬、台灣に来る日本人観光客がよく聞く質問の一つに「黒輪」がある。「黒輪」って何ですか？食べ物ですか？少し中国語を勉強した人は「ヘールン」と発音してみるがさっぱり分からない。実はこれは台灣語で発音漢字を当てたもので「オーレン」なのである。どこかで聞いたような言葉だなあと思われる方もいるだろう。そう、「おでん」なのである。台灣語には’で‘の発音がないから近似音で「おれん」と聞き、それに台湾語の黒（オー）と輪（レン）をあてた。それが字も発音も定着してしまった、つまり立派な市民権を獲得したわけだ。&lt;br /&gt;ところで、博多のレポートを見ていたら、博多では「うどん」を「うろん」ということが報じられていた。台灣でもうどんをうろんという人が少なくない。おでんをおれんというのと同じ伝である。&lt;br /&gt;博多で「うろん」が通用しているならば、台灣でも「おれん」が正式な市民権を得てもいいではないか、と思った。　&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-597067998399568525?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/597067998399568525/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=597067998399568525' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/597067998399568525'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/597067998399568525'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2008/07/0710.html' title=''/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2915658114024643012.post-9055894980260299623</id><published>2008-07-13T01:13:00.000-07:00</published><updated>2008-07-13T01:16:16.126-07:00</updated><title type='text'>魚がたべられなくなる日</title><content type='html'>魚が食べられなくなる日&lt;br /&gt;燃料の高騰で、函館のイカ漁漁船が三日間休業するという。&lt;br /&gt;イカ漁は一種独特な方法で、強烈な集魚灯でイカの群れを海面近くまで誘いだし、針に引っ掛けて吊り上げるものである。1945年夏、函館の漁師から聴いた話では、漁師一人で左右2本ずつ竿を持ち、交互にイカの群れの中に入れて引っ掛ける方法だったが、それを外すのが熟練のきわみだったという。現在の操業現場の映像を見ているとそのきっかけはローラーに巻きつけて引き上げるだけでよいらしい。だから、コストの大半は集魚灯用電気の発電燃料になったようだ。イカ漁は今が最盛期、その時期に休むのは理に合わないが、燃料が高くて漁に出れば出るほど赤字になるというのだ。素人考えでは高くなった分イカに上乗せすればよいではないかと思うのだが、ほかの魚の値段との兼ね合いもあって、そう簡単にはいかないらしい。あの、上がったばかりのイカの皮を剥いで手際よく細いそうめん状に刻んだ「イカそうめん」は函館随一の美味だった。冷凍物では絶対味わえないものだったが・・・本当に食べられなくなる日が来るかも知れない。&lt;br /&gt;そういえば、先月蘇澳、南方澳へいったとき、天気が悪いのでもないのに、漁船がぎっしり停泊していた。燃料の高騰で、漁に出るよりは休んだ方が出費がすくないというのだ。台湾人は黙って休むが日本人は大騒ぎしてやすむ。&lt;br /&gt;莫大なオイルマネーが世界中をかけめぐって、再びアラビアンナイトを出現させようとしている。魚も食べられなくなった庶民はどうなるのだろう？&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　08/07/07&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-9055894980260299623?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/9055894980260299623/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=9055894980260299623' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/9055894980260299623'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/9055894980260299623'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2008/07/blog-post.html' title='魚がたべられなくなる日'/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' 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src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-8059168549532616673?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/8059168549532616673/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=8059168549532616673' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/8059168549532616673'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/8059168549532616673'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2008/06/blog-post_28.html' title='おせっかいな・・・'/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2915658114024643012.post-4738240614637113556</id><published>2008-06-17T01:07:00.000-07:00</published><updated>2008-06-17T01:08:31.218-07:00</updated><title type='text'>バーゼルから</title><content type='html'>バーゼルから &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;○　Ｅｕｒｏ　Ｃｕｐ　２００８が始まった。&lt;br /&gt;　　今年の４年に一度のユーロカップは、スイスとオーストリアが共同主催する。その前夜祭が先日バーゼル　　で行われた。バーゼル市内に突如４ヶ所の大スクリーンと中継所が出現した。４－５００人は入る広場で　　ある。座席は有料だが、立ち見席は無料。付近にはＦａｎｓｈｏｐが記念品を売っている。　　　&lt;br /&gt;　　幸運にもスイスへ来て二年目にこのような盛事に出会うとは！しかも準準決勝以後の試合のうち、決勝戦　　がオーストリアで行われるほか、バーゼルで三回試合がある。どうやら財布がかなり軽くなるのを覚悟し　　なければならないようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　おりにふれて報告しますので、中文が分かる方は直接&lt;br /&gt;　　　　&lt;br /&gt;　　　　http://shuchunjierong.blogspot.com/&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;を読んでください。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-4738240614637113556?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/4738240614637113556/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=4738240614637113556' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/4738240614637113556'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/4738240614637113556'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2008/06/blog-post_190.html' title='バーゼルから'/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2915658114024643012.post-7738493404174635603</id><published>2008-06-17T01:04:00.001-07:00</published><updated>2008-06-17T01:04:26.588-07:00</updated><title type='text'></title><content type='html'>&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-7738493404174635603?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/7738493404174635603/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=7738493404174635603' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/7738493404174635603'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/7738493404174635603'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2008/06/blog-post_17.html' title=''/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2915658114024643012.post-844674211438161227</id><published>2008-06-07T17:35:00.000-07:00</published><updated>2008-06-07T17:36:24.817-07:00</updated><title type='text'>大山鳴動のあと</title><content type='html'>527 大山鳴動のあとで&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;大山鳴動してねずみ一匹を書いたのが三月末、これで安心と思ったのもつかの間、四月末に老人検診があって、ＧＯＴ，ＧＰＴが再び上がっていると聞かされた。自分でも尿の色が濃いし、食欲があまりないことに気づいていたので、早速受診したら、&lt;br /&gt;「内臓、特に消化系の精密検査をやりましょう」&lt;br /&gt;といわれた。そして&lt;br /&gt;「入院しないと保険が出ない検査項目があるから、明日入院する準備をして来なさい」&lt;br /&gt;という。この機会に人間ドックもいいかと軽い気持ちで承諾したのに、そんなに大げさだとは思わなかった。しかし、ここまで来るともう言いなりになるほかない。&lt;br /&gt;検査の詳細は省略するが、困ったのは最初の日から、毎日輸液（点滴）をするものだから、動き回るのが不便でしょうがない。わたしは検査のために入院しているのですよと看護師に言っても、医者の指示ですからという。結局輸液で黄疸が軽くなったのだから洗浄効果はあったのだが、医師も看護師も誰一人そう言う風に説明した人はなかった。一様に栄養のためですという。５％ブドウ糖500ｍｌのカロリーはせいぜい100カロリーなのに。&lt;br /&gt;検査は内臓のほとんどに及んだ。ＧＰＴが高い直接の原因は肝臓の炎症だが、それが肝炎によるものか、それとも他の胆嚢、膵臓、胃、腸、などによるものか、一々チェックするのだ。ただ、用いた手段は、Ｘ線、エコー、ＭＲＩ、生化学検査、心電図など多岐に亘った。生化学検査では膵臓、肝臓、胃腸、前立腺などの癌のマーカーまで分かるようになった。これらが陰性だからといって絶対安全というわけでもないが、一応安心できるからあとは定期的に追跡することになる。&lt;br /&gt;結果は、これら内臓に別段悪性と思われる腫瘍はないが、胆石が長い間胆管にいてなんらかの原因で胆管の一部を塞ぎ、胆汁の流れが悪くなったのだろうと言う診断が下された。この胆石、実はもう20年くらい仲よく暮らしているもので、時々医者に聞いてみても、「どこも痛まなければ放置したらいいですよ」といわれてきた。「その代わり、痛んだらそれこそ立っても座ってもいられないくらいになるから覚悟はしておきなさいよ」と釘をさされている。胆石の痛さについては、父5８歳のときに発作が起きた状況をつぶさにみているからよくおぼえている。その他の内臓については、マーカーは安全範囲内にあるという。ただ、前立腺癌のマーカー、ＰＳＡはグレーゾーンの真ん中、追跡検査する程度でいいという。胆嚢結石については、本来なら切除するのが正しいが、年齢的に難しいので外科手術しないことにする、との宣託だった。60歳台なら手術を勧めるともいう。一つには、胆石の手術といっても、それだけとればいいというものではなく、膵管、脾臓管を傷つけないように避けるため、手術時間が往々８時間に及ぶからで、高齢者には非常に大きな負担になるからである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;さて、ドックの費用は？&lt;br /&gt;総計8229元　　　　三泊四日である。大部分は病室の差額自己負担分&lt;br /&gt;（6300元）であった。検査費用合計は17636元、この分の90％は保険負担で、自己負担は10％であった。病室も個室だからこんなに高くついたが、本当は大部屋だったらこの分が不要になる。すると、せいぜい2000元程度で済むことになる。&lt;br /&gt;実際、入院して検査を受けるのは退屈でもあり、何時検査の呼び出しがくるか分からないから、なんとも落ち着かない。本をよんでいればよさそうだが、そんな時に限って中断される。また、一度にまとめて全部検査できないですかときいたら、一つの検査の結果を見て次の検査を決めるのだという。いやはや、俎上の魚だからいわれた通りにするほかないが、「拘置所」に類似している気がして苦笑せざるをえなかった。&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　‘08/05/27&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-844674211438161227?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/844674211438161227/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=844674211438161227' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/844674211438161227'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/844674211438161227'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2008/06/blog-post_4033.html' title='大山鳴動のあと'/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2915658114024643012.post-5110306604123269104</id><published>2008-05-06T18:35:00.000-07:00</published><updated>2008-05-06T18:37:25.903-07:00</updated><title type='text'>台中の休日</title><content type='html'>台中の休日（Holiday in Taichung）&lt;br /&gt;久しぶりに台中に泊まった。交通が便利になってから、日帰りでも疲れなくなったので、台中に泊まることがほとんどなくなったのである。妹たちの住所が郊外に移って車がないと出入りが不便になったせいもある。&lt;br /&gt;用事が簡単に終わったので、この機会に懸案の眼の診断と、長いあいだおしゃべりしたことがない従弟を訪ねた。眼は、最近とみに視力が衰え、白内障の進み具合が気になるので、未だに現役で診ているJ君に検査してもらうためだが、瞳孔を拡大する必要があるため、普段は十分な時間がとれないから、延び延びになっていたのである。&lt;br /&gt;J君の診療所は台中駅に近い緑川の畔に、もうかれこれ50年開業している。一度などは、台北からの帰りに車窓から飛び込んだ石炭のかけら（石炭を炊く蒸気機関車時代だった）が角膜に刺さってとても痛かったが、汽車を降りてすぐ彼の診療所にかけこみ、つまみとってもらって事なきをえた。手で擦らなくてよかったよ、と言ってくれたのが昨日のように思い出される。&lt;br /&gt;診察の結果、白内障は60％程度、普通なら大抵手術しているところ、まあ、後しばらくは大丈夫だという。彼自身も毎年アメリカで検査してもらっているが、まだ手術していない。診察や処置には差し支えはないという。因みに彼の娘婿は有名な眼科医で網膜の手術のベテラン、アメリカ・ミシシッピ在住。また、眼底検査の結果も少し動脈硬化がある程度だが概ね良好。結論を言えば、年相応だがおおむね健康という嬉しいことになった。最近の大病院の医者は、人数と処方する薬、それに検査項目ばかりに関心があって、患者の言うことは聞かないのみならず、顔さえ見ない傾向がある。そんなこと知ってるよ、と言わんばかりの態度なのである。私がつけた病名は「優等生症候群」。だから親身に聞いてくれ、説明してくれる医者はよけいありがたい。&lt;br /&gt;「僕は濾過器だよ。簡単な処置だけして、あとは大病院へ回す」と達観している。だから保険も見ない。&lt;br /&gt;久しぶりで会った従弟は、中学で一年あとだが、本当は二、三ヵ月しかちがわないし、学寮や東京でも一緒だった時期が長かった。千葉にいた頃、夏休みに一ヵ月くらい泊まり込みで来て、二人で一升のピーナッツを平らげた記録もある。「読書の習慣と楽しみを教えてくれたのは兄さんだったよ。古典音楽も」と、僕が忘れてしまったことを話してくれた。僕がまだ台中にいた50年代にはよくダンスホールに誘ってくれた。酒飲みではなかった彼はダンスが唯一の楽しみだった。それが最近はカラオケ、それも演歌に凝っているという。歌詞に結構心を打つものがあるから、クラシックとはまた一味ちがったものがあり、ストレス解消の新しい方法を見つけたという。患者数は一日約30名、完全休診日や半日休診日をもうけてあるし、一回の診察は２時間程度にしてあるから、気楽にやっている。「家庭医学科」という看板を掲げているが、「要するに昔の開業医の続きだよ」という。「検査漬けの時代だが、どうしている」と聞くと、「なに、勘できめて、疑問があったら検査にまわすよ。収入は減るが患者にはその方が楽だね。不必要な検査が多すぎるよ。患者の目をじっと見て、言うことに耳を傾けたら半分くらい分かってしまうさ。第一、それだけで患者は半分治ってしまうのにね。｛はい、検査、来週また結果を見にきてね｝なんておかしいよ」と中々手厳しい。内科が多いので薬も出すから薬剤師も雇っているし、パソコンも使っている。パソコンを使う方がよほど忙しくて、本を読んだりカラオケへ行ったりする時間が削られるのがもったいないという。&lt;br /&gt; &lt;br /&gt; ゴーストタウンになりかけている台中&lt;br /&gt;台中は台中盆地の真ん中にできた街だった。戦前の人口6万人、道筋は整然とし、きれいな水を湛えた柳川の柳並木と、ブーゲンビリアー（日本名いかだかづら）が生い茂る緑川の２つの川に囲まれたこじんまりした街で、商店街もまとまっていた。その中心地がゴースト化しようとしている。いや、もう半分ゴースト化している。&lt;br /&gt;従弟の診療所は中正路のはずれにあるが、彼が診療している間、大通りに沿って歩いて見た。台中港路の起点と中華路の間ほぼ真ん中になるその地点は、台中市の入り口で高速道路に通じるから、大型バスが盛んに出入りしているが、道路に面した店はと見ると、東側はシャッターを下ろしている店が約半分、西側はもっと多く、ほぼ60％に達する。店舗貸しますとか、売りますという張り紙をしている店も少なくない。昔日の面影はもうない。&lt;br /&gt;市の中心は迅速に西の新開地区に移ってしまった。中心地の彰化銀行本店あたりはもっとひどいそうだ。表面上まだ繁栄しているが、実質は家賃の大幅下落に現れている。ある有名な靴チェーンの家賃はかつて月30万元だったのが今や5万元になった。それでも店は赤字の月が多いという。かつて台中銀座の称があった中山路（すずらん通り）を歩くと道が狭いだけに一層その凋落ぶりがひしひしと身に迫るそうだ。一福堂、太陽堂、美珍香、清水本店などの有名店がひしめいていたところだけに、哀れさを感じる。&lt;br /&gt;台中はもともと人口に比して広いバックグランドを持っていた。消費人口は旧台中州をカバーしていた。市が西と南へ伸びていった原因は、店舗の大型化と住民の移動だった。外地の客は需要に追いつかない交通事情のせいもあって、車で台中に出てくるのが便利になった。必然的に駐車の問題が発生する。駐車場がない中心部は敬遠され、客足が落ちる。あとは悪循環である。かくして、旧市内はゴーストタウン化への道を歩むほかないようだ。店舗を１軒もっていれば左団扇で暮らせた時代は終わった。私たち「老台中」も友人、兄弟を訪ねるのに、アメリカ並みに車で連れて行ってもらうか、タクシーを利用するほかない。私は台北ではめったにタクシーに乗らないし、実際それで不都合もないのに、台中では一寸した用件でも大変コストが高くなった。結果、よほどのことか、誰か車で行く以外は、故郷離れが加速している。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-5110306604123269104?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/5110306604123269104/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=5110306604123269104' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/5110306604123269104'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/5110306604123269104'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2008/05/blog-post.html' title='台中の休日'/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2915658114024643012.post-2656894131694814574</id><published>2008-04-30T08:37:00.000-07:00</published><updated>2008-04-30T08:39:22.978-07:00</updated><title type='text'>バーゼル（Bazel)から</title><content type='html'>バーゼル（Ｂａｓｅｌ）から&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（はじめに）　　最近バーゼルから興味ある便りが相次いでとどいた。台湾人にはいささか耳が痛いことなので日本語に訳してみた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その１&lt;br /&gt;ある年、スイス・バーゼルで開かれた商品展示会に参加した時の話。&lt;br /&gt;中年とおぼしき母親に手を引かれた坊やが、わが社のブースの前で立ち止まったまま動かない。一秒毎に鶏が米粒をつつくデザインの目覚まし時計に見入ったのである。坊やが目を輝かせて、しきりに母親の腿をつねるのはどうやら買ってくれと催促しているらしい。展示会は明日で終わるし、わたしも身に覚えがあるから、その目覚ましを取り出して坊やに上げようとしたら、お母さんは、きっぱりと、しかし鄭重に断った。そしてわたしが気を悪くしないかと心配したのか、このようにいった。&lt;br /&gt;　「いい時計です。ただスイス人は、必要でないものは買わないようにしつけられています。また、子供の不合理な欲望を満足させることはしません」&lt;br /&gt;坊やが頭を垂れて立ち去る後ろ姿を見て、「このお母さん、ちょっとオーバーじゃないか」と思った。&lt;br /&gt;次の日、主催者招待の打ち上げパーティに参加したとき、わたしは妙な現象を発見した。皆さんが持っているワイングラスの中身はみんなビールなのだ。そのわけをきいてびっくりした。&lt;br /&gt;　「バーゼル人は商談するときはビールしか飲みません。ワインは高すぎるのです。家でもワインはあまりおきません。清教徒の信条にも反しますし・・・」&lt;br /&gt;それから、彼はスイス人の卵の茹で方を教えてくれた。&lt;br /&gt;「鍋に１ｃｍくらいの水を入れ、水が沸騰したらヒーターを切って、あとは余熱で茹でるのです。電気代が半分ですみますよ」&lt;br /&gt;世界一の国民所得を誇るのも無理がないと痛感した。&lt;br /&gt;また、ある日、わが社の商品をたくさん買って引き取りに来たボスが、若い人を連れてきた。その子は不注意で梱包の鉄バンドで指を切ったが、ボスはただ一言「バンドをつけとけ」と言ったきり作業を続けさせた。「ひどいボスだなあ」と思ったが、作業が済んでからその子は彼の子供であることが分かった。「学校が臨時休校になったからね、見習いに連れてきたのだ。日当は払っているよ」、と屈託がない。その日、息子は舶来のジーンズを着けていたが、「これは親父がくれたものじゃないよ。去年僕が隣の家の雪下ろしを手伝って稼いだ金で買ったんだ」と自慢していた。苦労して稼いだ金だから、見栄で無駄遣いすることはない。&lt;br /&gt;展示会の後ジュネーブへ。国連欧州本部の所在地で年に何千回も国際会議が催される都市だが、レマン湖の水が実にきれいなのに驚く。ある銀行家が言った。スイスのウォッチはただ一つの発明のおかげだ。スプリング。エネルギーを貯蔵できさらにそれをゆっくり放出できることがスイスの時計の基礎であり、スイスが常に発展の力を保てるのもそのためだ。&lt;br /&gt;（ある実業界の人の述懐による）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その２&lt;br /&gt;スイスでアルバイト。&lt;br /&gt;バーゼルのデパートで宝石、ウォッチの展示会が催され、アルバイトを募集していたので応募してみた。期間は１０日間、仕事はレジと包装である。宝石も時計（特に腕時計）はスイスを代表する産業なので、定期的にどこかで展示会が挙行されている。近年、中国や香港からの客を多くなったので、中国語を話すアルバイトが必要になった。&lt;br /&gt;私はバーゼルに来てやっと半年足らず、ドイツ語は初歩しか出来ないのにつとまるかと心配したが、接するお客さんは地元の人も多いから、インタヴューの女性はドイツ語でゆっくり話してくれた。何とか聞いて分かる程度だから、結果如何と思っていたが、間もなく、採用するから、講習に来てくださいという通知を受け取った。内心、黒い髪の毛で黄色い肌のお客さんだけ相手にするかと思っていたが、実際にはカウンターに立って、雑多なお客を相手にしゃべらなければならないし、同僚ともドイツ語で話さなければならないことが分かった。今更やめたともいえないから、ここは面の皮を厚くしてやる以外方法がないようだ。&lt;br /&gt;アルバイト第一日、デパートを入ったところにはスイス製腕時計、スイスナイフ、それに山と積み上げたチョコレートがあった。勤務場所はここである。スイスの住民は、こんな時特別割引が在るから、まとめ買いする習慣があるのか、開店と同時になだれ込んできたのは地元の人たちばかり。チョコレートなどはキロ単位で買っていく。それがスイス訛り丸出しのドイツ語で早口にしゃべる物だから、半分も聞いて分からない。幸い、一緒に立っている店員がてきぱき処理してくれるので、何とか対応できる。&lt;br /&gt;因みに、どの本にも「スイス人の７５％はドイツ語を話す」と書かれているが、実情はそこで暮らした人だけが分かる。バーゼルはもちろんドイツ語圏で、&lt;br /&gt;ライン川の向こうはドイツ領だが、彼らのドイツ語は北京語と台湾国語よりも差が大きい。次第に、応対は彼女に巻かせて、私は専ら包装係りになってしまう。&lt;br /&gt;ある日の午後、私の出番がやってきた。大きな声で喚きながら（あれは絶対話しながらとは言えない）、一群の黒髪、黄肌そして私が聞いて分かる言葉を話していた。かれらのお目当ては前列のケースに並んだスイス製ウォッチ、これを３つ、あれを２つと争って指差す。早くしないと他人に買い取られてしまうのを恐れるかのように。台湾人の海外旅行が、制限着きだが許可された当初、スイスの時計店で棚にある時計を全部下さいと言って店員に断られた話を思い出した。４０年ばかりタイムスリップした。&lt;br /&gt;かの有名なスイスナイフもお目当ての一つである。チョコレートにはまだなじみが薄いのか、あまり人気がない。レジ係りの同僚が計算して、金を受け取り、私が専ら包装を担当する。少し手間取ると「早くしろ！」と例の「私が聞いて分かる言葉」が飛んでくる。それもデパート全体が聞こえるくらい大声である。幸い、こんな客はそんなに頻繁ではなかったので無事勤まった。&lt;br /&gt;ついに展示会最終日が来た。地元の人がまとめ買いにたくさん来る。どうして期間中にか来ないのですか、と同僚に聞くと、会期中はなるだけ他所の人に買ってもらうのを願っているのですよ。あのチョコレートを買っているおばあ&lt;br /&gt;さんを見て・・・、あのおじいさんも・・・何キロも買っているでしょう。今日は最終日だから割引があることを知っているのですよ。との答え、実際スイス人は愛国心が強い。彼女は、「チョコレートにミルクを加えたのはスイス人ですよ」と自慢気に語っていた。&lt;br /&gt;アルバイトでドイツ語がうまくなったでしょう、と聞かれると、答えはNoである。発音も文法もちがうバーゼル・ドイツ語ではキーワイドをききわけるのが精一杯。ある日、おばあさんがしきりに前のお客さんを指差して何かいっているが、「土語」なのでどうしても分からない。おばあさんどうやら怒り心頭に発しそうなので同僚にパス、何のことはない、あのお客さんと同じ袋に入れて下さいと言っていたのだ。&lt;br /&gt;十日間のアルバイトが無事おわった。給料はまだもらっていないのに、従業員割引でワンサと買い物をしてしまった。ワインももちろん欠かせない。毎晩夫と寝酒が飲める、これがアルバイトの成果といえばそうかもしれない。&lt;br /&gt;（孫の嫁のBlogから）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-2656894131694814574?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/2656894131694814574/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=2656894131694814574' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/2656894131694814574'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/2656894131694814574'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2008/04/bazel.html' title='バーゼル（Bazel)から'/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2915658114024643012.post-3310077171540483874</id><published>2008-04-24T07:15:00.001-07:00</published><updated>2008-04-24T07:15:54.779-07:00</updated><title type='text'></title><content type='html'>417 　その汽車待った！&lt;br /&gt;廖　継思&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「おーーい、その汽車待った、わしは村長だぞ・・・」&lt;br /&gt;と発車する汽車を停めた村長さんの笑い話がある。ところが、現実にスイスで汽車の出発を？秒停めた猛者がいたのだ。私の孫の嫁である。&lt;br /&gt;今年の二月、長女は旧正月の長休暇を利用して、去年スイス・バーゼルの研究所に就職した息子（私の孫）の家を根拠地にして、スイス各地へ日帰りの旅を楽しんだ。新婚の嫁は、語学勉強中で案内役にはもってこいだった。スイス国内の汽車ネットはくまなく張りめぐられているので、バーゼルはいわば辺境に位置しているにもにもかかわらず、日帰りが可能だったのである。&lt;br /&gt;その日、Ｚｕｒｉｃｈからバーゼルへ帰る列車は終列車だった。時刻表によればｎ番ホームから発車するとある。しかし、時間が近づいたのに、ホームにはほかの乗客が一人もいない。念のため時刻表を見直すとこのホームから出るのは土、日だけであとはｍホームからということが分かった。見るとその汽車はまさにｍホームに入ったところである。さあ、大変この列車をはずすともう汽車がない。小母さん連中は動きが鈍いから、若い嫁がまず駆けて行った。あと１分で発車である。駅の中といえども水があるところは凍っていて滑るから&lt;br /&gt;普通のように駆けるわけにもいかない。小母さんたちはもっと慎重だ。&lt;br /&gt;嫁はどうにか間に合ったが、まず車掌をつかまえて、事情を説明、「ちょっと待って・・・」と懇願した。車掌は時計と睨めっこしながら、笛を口へ持っていこうとする。しかし、嫁は知っていた。車掌が車内に入って戸を閉めない限り汽車は動かないことを。嫁はスイスへ来てまだ半年、語学学校に通っているがドイツ語はほとんど分からない。それもあって、ゆっくりとドイツ語にフランス語を交えて車掌に説明することで時間を稼いだ。車掌も若いレディの前でで、礼儀正しく聞いている。そうこうしているうちに小母さんたちが追いついた。汽車に飛び乗って、車掌に「Ｄａｎｋｅ　Ｓｃｈｏｎ」を連発して、汽車が動いた。待たせたのは１分もなかったらしいが、定刻より少しおくれたかも知れない。無事バーゼルに帰りついたのは、11時を過ぎていた。バスはまだ走っていた。&lt;br /&gt;実は、私も1995年秋にスイスに旅行した時同じような経験をしている（汽車を停めたのではなかったが）。&lt;br /&gt;インターラーケン東駅からハーダー山行きのケーブルで山頂まで行ったが、展望台からの眺めが期待はずれ、しかし、帰りのケーブルは６：３０とあったからのんびりしていたら、展望台前の時刻表の６：３０の前に小さな星が付いている。よく見ると、それぞれは７月と８月だけで、今（１０月）は６：００が最終便なのだ。あわてて、半分駆け足で駅まで急ぐ。奥さん連には気の毒だったがこれを外すと、２時間くらいハイキングさせられるのだからしかたない。発車寸前やっとケーブルに間に合って東駅に降りることができた。&lt;br /&gt;もう一度は、ＣｈｕｒからＺｕｒｉｃｈへ行く時。今度のケース同様、指定ホームで待っていたが、時刻が迫っているのにホームには乗客が一人もいない。おかしいと思ってホームにある時刻表で確かめて見たら、10月からホームが変わっていた。&lt;br /&gt;観光の国、スイスではシーズンとノンシーズンで列車の停まるホームや最終便の時刻が変わることが多いらしい。表を見る場合、小さな星記を見落とさないよう注意が必要だ。&lt;br /&gt;でも、汽車を待たせる経験はそうざらにあるものでまない。貴重な体験である。        ‘08/04/17&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-3310077171540483874?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/3310077171540483874/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=3310077171540483874' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/3310077171540483874'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/3310077171540483874'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2008/04/417-11-1995-10-080417.html' title=''/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2915658114024643012.post-1884332003605612020</id><published>2008-04-24T07:13:00.000-07:00</published><updated>2008-04-24T07:14:22.455-07:00</updated><title type='text'></title><content type='html'>&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-1884332003605612020?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/1884332003605612020/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=1884332003605612020' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/1884332003605612020'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/1884332003605612020'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2008/04/blog-post_24.html' title=''/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' 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rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/2275465915750402669/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=2275465915750402669' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/2275465915750402669'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/2275465915750402669'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2008/04/blog-post_23.html' title='その汽車待った'/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2915658114024643012.post-3171515738206441877</id><published>2008-04-11T22:42:00.000-07:00</published><updated>2008-04-11T22:44:15.850-07:00</updated><title type='text'>台北きょろきょろ（２）</title><content type='html'>331 台北きょろきょろ（２）&lt;br /&gt;台北のおのぼりさん&lt;br /&gt;１０１ビル&lt;br /&gt;この世界一高いビルが竣工してから２年も経つのに、台北に住むおのぼりさんはまだ行ったことがない。こんども先輩を案内してはじめて訪れた。&lt;br /&gt;１０１ビルは高さ508ｍ、敷地9158坪（30.277平方ｍ）、台北のいたるところから見える。実際に高いと実感するのは郊外から眺めた時だった。年末に猫空から見た時、山並みの向こうににょきっとほとんど全容を見せていたので今更のように高いと認識した。&lt;br /&gt;５階は食堂街である。５時すぎ、その一軒に入ったが、客が一人もいない。大丈夫かなあと心配になったが、７時に 店を出る頃には席が半分くらい埋まっていた。別の飲茶の店はいっぱいで喧騒をきわめていた。建物も高いが、値段も高いのにここでたべる人が多いのに驚く。&lt;br /&gt;８９階の展望台まで行く。世界一早いと称するエレベータ（1010ｍ/分）で39秒で着いた。少し曇り気味の天気だが夜景は十分楽しめた。すくなくとも東京のサンシャインビルの展望台からの眺めよりもいい。サンシャインには二度ばかりあがったが、スモッグで方角さえ禄に判別できなかった。以後敬遠している。&lt;br /&gt;音声ガイドが借りられるが、じっくり眺めるためには一ヶ所毎に切らないと追いついていけない。先輩の奥さんは次の説明スポットまでかけ足でいって、ガイドに追い回されていた。&lt;br /&gt;独自の耐震装置がおもしろかった。あらためて、この高さでは台風のかぜ当たりは大変だろうと悟る。耐震はもちろん、耐風圧も必要で秒速60ｍの風に耐えるという。そのため、風圧ダンパーがあり、３８０本の柱は地下80ｍまで達し、岩盤の下30ｍまで達しているのもあるという。&lt;br /&gt;まあ、台北に住んでいるからには一度は行って見るスポットだろう。今ドバイでこれを凌駕するビルを建設中だそうだから、世界一高いうちにいってみるべきだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;竹子湖&lt;br /&gt;陽明山は数えきれないくらいいっているのに、竹子湖にはまだ足を踏み入れていない。かつて蓬莱米の原種保存田があることで有名だったが、のちに各農事試験場で保存するようになり、次にキャベツなどの高地蔬菜の栽培に転向した。今はカーラーの栽培と体験用の観光地として繁盛している。もっとも竹子湖へいったのはカーラーが目的ではなく、農業地理を研究している先生を案内していった。平地ではやや汗ばむ天候が、山の上では霧のなかでかなり寒い。用心して厚着していったのが役に立った。&lt;br /&gt;さくらがぽつんぽつんと咲いているし、カーラーも満開。山芋収穫後の道具が田んぼに放置されている。&lt;br /&gt;以前、山芋の栽培で最大の難点は、成長に時間がかかることと、収穫のときであった。深く地中に入った芋は往々長さ６０ｃｍにも達する。それを傷つけないように掘り起こすのは至難の技だった。これを一気に解決したのが、ヴィニール管をあてがって「横に」成長させた方法だった。横方向なので成長が早く、収穫時にはヴィニール管を掘り出すだけですむから、労力が格段に節約できた。近年陽明山地方が山芋の産地になった原因がここにあった。農業技術も革新が行われているのである。因みにカーラーの花は自分で採取して、一本10元。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;高雄MRT（捷運）はおまけ&lt;br /&gt;先輩と高速鉄道で高雄まで日帰り、ついでにもっか無料で市民が試乗しているMRTに便乗した。車両が少し変わっている。座席は一律に縦並び、柱は三本の湾曲棒を付属しているので、混んでいる場合はつかまりやすい。一本だけだと他人の手を避けなければならないことが間々あるからいいアイディアである。ヨーロッパのどこかでこのような車両に乗ったような気もする。また座席前のつり革の棒もまっすぐではなく、湾曲しているから座っている人が圧迫感を感じないようだ。ネームプレートをみたらSiemensだった。&lt;br /&gt;先に開通するのは高速鉄道左営を真ん中に、北は橋頭、南は小港（途中高雄駅を通る）まで、市街地を出ると高架になるから建設費がかなり節約できただろう。もう一線は旧高雄港から市街地を通る地下鉄になるようだ。工事の途中で砂地に会ってずいぶん工期が遅れた。&lt;br /&gt;2008/03/31&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-3171515738206441877?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/3171515738206441877/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=3171515738206441877' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/3171515738206441877'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/3171515738206441877'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2008/04/blog-post_3766.html' title='台北きょろきょろ（２）'/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2915658114024643012.post-5304048435447007298</id><published>2008-04-11T08:00:00.000-07:00</published><updated>2008-04-11T08:15:40.267-07:00</updated><title type='text'>大山鳴動して</title><content type='html'>大山鳴動してねずみ一匹という言葉がある。大さわぎした割りに結果が小さい場合によくつかわれるのだが、最近似た経験をした。&lt;br /&gt;３月の定期検査で、ＧＰＴが270で異常に高いといわれた。エコー（超音波）検査を受けるようにと指示される。時間は三日後の午後２時３０分である。時刻はいいとして、検査前８時間はものをたべてはいけないという。夜食の習慣がないから、前夜から通算すると18時間空腹を抱えなければならないことになる。水は飲んでもいいそうだが、そのことは看護師からは告げられなかった。&lt;br /&gt;約20年前の検診で胆嚢に結石があることが分かっているが、悪さをするのでなければ放っといていいといわれているから、問題があるとすれば胆石だろうと自分でも知っているから、その宗を告げる。この医師は、検査中もケータイを聞いているくらいで、あまり身を入れて検査しているとは思えなかったが、少し腫れていますねというだけで、あとは主治医に聞いて下さいという。&lt;br /&gt;次の週、主治医に診てもらう。少し腫れているが胆管が詰まるほどではないから大丈夫だが、ＧＰＴ270は高すぎますね、念のため胃腸科へ回しましょうと、すぐ転診の手続きをとってくれた。胃腸科ではほかの項目は正常だが、胆、膵臓、肝臓などのマーカーも検査して見ましょうと、更に10項目の検査を指示された。来週また来院することになる。&lt;br /&gt;過去の検診記録を調べてみると、ＧＰＴ、ＧＯＴともに30をオーバーしたことがない。270というのは10倍値である。調べてみると、中等度の肝臓機能障害で、急性肝炎かヴィルス性肝炎のおそれがある。「肝心」という単語があるくらい肝臓は大事な臓器だから、故障するとうるさいなあと気になりだした。ＧＰＴはまさに最初のシグナルなのだ。&lt;br /&gt;折りしも一年間続けたジムがようやく効を発揮したのか、腹囲はあまり減少していないが、体重が二、三キロ下がってきた。知人二人からも少しやせましたねといわれた。一方では尿の色が赤みを帯びている。急激な体重減少はガンに対する警報でもある。やせたのは運動のせいか、病気のせいか分からないだけに、それも気になる。あれやこれや悩んでもしょうがないが、やはり検査の結果を早く知るに越したことはない。&lt;br /&gt;さて、診察の日である。モニターに写し出されたデーターを見て、「あれれっ」と思った。ＧＰＴ28、ＧＯＴ25になっているではないか。過去の成績と同じレベルなのである。ほかの機能検査やマーカーも問題はないという。&lt;br /&gt;「今後はどう注意すればいいですか」&lt;br /&gt;と聞くと、時々追跡検査すればいいですよという。別に薬もいらないでしょう。安心が最良の薬ですから・・・と悟ったようなことをいう。&lt;br /&gt;しかし、患者としては、やや不満である。それでは、あのＧＯＴ270は何だったのか、一向に説明がないからだ。以下は私の推理である。&lt;br /&gt;詳しいことは省略するが、ＧＰＴもＧＯＴも肝臓の細胞が破壊されて遊離した酵素の指標である。100以下であれば正常とされている。だから270はかなり異常だった。それが２週間後28に下がるとは考えられないから、270は小数点の桁違いではなかったかと思われる。27を270と見たのか、写しちがえたかだろう。以前のデーターが25乃至30だったことから、実際には27であった公算が高い。事後ではもはや証明できないだろうが。&lt;br /&gt;ただ、患者としてはエコーから始まって、５回も病院に通うことになった。時間的には１時間もあればよいが、交通や待時間を入れると、結果としてほぼ半日つぶれる。老人は暇をもてあましているように見えても、結構仕事があるから、スケジュールの調整もしなければならない。&lt;br /&gt;まあ、大山鳴動してねずみ一匹でよかったし、病院の裏側を垣間見た経験でもあった。&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　08/04/06　記す&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-5304048435447007298?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/5304048435447007298/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=5304048435447007298' title='1 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/5304048435447007298'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/5304048435447007298'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2008/04/blog-post_11.html' title='大山鳴動して'/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>1</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2915658114024643012.post-7431823491711709681</id><published>2008-04-01T18:50:00.000-07:00</published><updated>2008-04-01T18:53:37.486-07:00</updated><title type='text'>糞尿課一北京篇</title><content type='html'>糞尿課一北京篇&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;国の威信を賭けて2008年のオリンピックをかち取った北京は、その準備に向け&lt;br /&gt;て大童である。&lt;br /&gt;その一つが、400年もの歴史ある「胡同」(フートン)の取り壊し。古いものは&lt;br /&gt;すべて醜い、悪いという泥沼にはまりこんでいる。われわれが知っているだけ&lt;br /&gt;でも、明治政府の城の取り壊し、国民党政府の城壁の取り壊し、紅衛兵の寺院&lt;br /&gt;取り壊しなど枚挙に遑がない。日本の城でその災厄を免れたのは10指もなかっ&lt;br /&gt;たらしいが、全国的な空襲で更に焼き払われ、現存する城はわずかに4つだけ&lt;br /&gt;になった。各地で再建、復元しているが、コンクリート建てでは魅力がない。中&lt;br /&gt;国でも主な都市の城壁は大部分取りのぞかれ、丁寧なところでやっと一部を残&lt;br /&gt;す程度、世界遺産に指定しようにももう対象物がない。ヨーロッパで一つの市&lt;br /&gt;全体が遺産に指定されているのに比べると誠に嘆かわしい。&lt;br /&gt;前置きが長くなった。&lt;br /&gt;オリンピックを迎える一環として、共産党が力をいれているのが便所である。&lt;br /&gt;この悪名高きイメージを一掃すべく、北京市は、今度新たに500コも公衆便所&lt;br /&gt;を建設する。実は、過去20年間にも200コばかりつくったそうだが、人ロー&lt;br /&gt;千万を越す大都市にとってアンバランスなことはちょっと計算すれば分る。な&lt;br /&gt;いよりはいいかもしれないが、今度新たに500コつくっても焼け石に水だろう。&lt;br /&gt;さて、北京の公衆便所は、いままで有料だった。3角、つまり0,3元である。3&lt;br /&gt;回行くと約1元になる。1元と笑うなかれ、NT＄4元に相当するから朝飯代く&lt;br /&gt;らい出てくる。そこでそれを倹約するため、路上に垂れ流す人間が後を絶たな&lt;br /&gt;い。北京の人間はそれをみな地方からきた流民のせいにする。&lt;br /&gt;有料には有料の利点があった。管理人がいて(といっても地域のボスだろうが)&lt;br /&gt;料金を徴収するかわり、掃除などもやって清潔を保っていた。それが、これか&lt;br /&gt;ら無料にする。入民のために。ところが無料になってあらたな悩みが出てきた。&lt;br /&gt;いままで管理をやっていた連中が怠けだした。金が入らなくなったのだ。部品&lt;br /&gt;はなくなる、掃除はいい加減になるし、水に溶けないかたい紙を使ってパイプ&lt;br /&gt;を詰まらせるなどが普遍化したのだ。&lt;br /&gt;一方、500ヶ所くらいではさすがに足らないと知ったのか、新たに開業するレス&lt;br /&gt;トランやホテルに一般大衆にも開放するように義務づけた。そうしないと営業&lt;br /&gt;許可を出さないという。いかにも「官」が一番偉いという見本らしい。&lt;br /&gt;さて、人口千万、面積は台湾の半分もある北京市でその対策が功を奏するか、&lt;br /&gt;貝を大きくして見ることにしよう。&lt;br /&gt;廖継思09/04&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-7431823491711709681?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/7431823491711709681/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=7431823491711709681' title='0 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/7431823491711709681'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/7431823491711709681'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2008/04/blog-post.html' title='糞尿課一北京篇'/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-2915658114024643012.post-8478807275684323196</id><published>2008-03-22T01:14:00.000-07:00</published><updated>2008-03-22T01:20:14.882-07:00</updated><title type='text'>台北きょろきょろー（１）</title><content type='html'>1211              　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;　　　　　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;師走になって小春日和が続いたので、浮かれて台北近郊をうろつく機会が何度かあった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;三峡&lt;br /&gt;先ずは三峡。年に一度の桃園区農事試験場の研究成果一般公開日、ポインセチアの新種発表を手はじめに、さつま芋、果物の非破壊糖度測定、各種加工食品など、結構一日遊べる。今までは車で連れて行かれたが、今年は自分で行くことに挑戦、案外スムースに行けた。&lt;br /&gt;家のすぐそばにあるメトロ駅から永寧まで40分、駅前で三峡行きのバスを探していたら、916バスが二台も来た。後ろの車に乗ったら乗客は私一人、まもなく高速道路へ上がって、あっという間に三峡に着いた。運転手に試験場へ行くにはどこで降りたらいいかと聞いたら、一番近いところで下ろしてくれて、ここから歩いて10分もかからないよという。バスで10分、歩いて10分、家を出てから一時間で着いたことになる。車を運転してもこんなにスムースにはいかない。私一人だけで申し訳ないですね、と運転手に言ったら、なあに、朝と夕方乗ってごらんなさい、毎便満席ですよ。それに高速道路を走るので立席はだめだから快適ですよ、との答えだった。このバスは三峡とメトロ永寧駅のシャトルバスの役目を担っているようだ。帰りは各バス停を回っている間に満席になった。ほとんどが台北大學の学生だった。台北市の悠遊カードが使用でき、料金は２倍だが十分引き合う。&lt;br /&gt;以前、土城工業区の工場に勤めていた頃、よく退勤後三峡まで食事に来たり、祖師廟へお参りに来ていたが、車で20分はかかったのに比べると格段に便利になったようだ。会社は渋滞を避けて、30分はやく退勤になるので、夏などは十分に明るい。時に足を伸ばして行天宮の支宮がある白鶏や、原住民集落が残っている三民、復興（角板山）、大渓まで行けた。車そのものが少なかったこともある。メトロは将来三峡まで延長する計画らしいが、私は乗れそうにもない。&lt;br /&gt;しかし、三峡は完全に様変わりした。昔の面影を残しているのは、あの三峡のランドマークだったアーチ橋と祖師廟ぐらいだろう。かのレンガ造りの「旧街」は長いあいだ放置した末に復元はしたが、本来の姿には遠い形になった。それでも残しただけよかった。&lt;br /&gt;もっとも大きな変化は、広大な台北大学と林立する高層マンション群である。&lt;br /&gt;台北市にあった中興大學の分校を基幹として設立した台北大學のキャンパスは100ヘクタールもある。バス停だけでも5ヶ所あった。学内を一廻りするだけでも大変らしい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;マンションはいずれも15階くらい、もともと田んぼだったところに建てられているから整然と並んでいる。高さもそろっているから、景観もそう見苦しくない。10年前には200万元程度だったが、今は２倍以上するらしい。総数２万戸だそうで、人口は約10万、それだけでも一つの都市が出来る。もちろん、道路も広く取ってある。メトロが開通すれば、台北のベッドタウンとして、さらに発展するだろう。現に、引越ししている現場に何ヶ所か出会った。&lt;br /&gt;祖師廟や旧街へもこのバスを利用すれば、たやすく行けるようになった。正月に行った時、今の三峡名物はクロワッサンだと教えられた。近年有名になったものらしい。見たところ形だけで、チーズは入っていないらしいので試しても見なかったが、買い手はほとんどが若者だった。&lt;br /&gt;美術と民俗に興味ある人は、李梅樹記念館を訪れるのもいい。李梅樹は師範大學の美術教授で、祖師廟の再建に生涯を捧げたといってもいい人である。何気なく見ている廟の内外の彫刻はすべて彼の指導で行われた。廟の後ろでは近年まで常時多くの石工や木工が修理や更新に従事していた。いわば廟お抱えの職人たちだったが、中国の安い工賃に侵食されて姿を消した。その高い廟宇美術の技術はどこへいったのだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;猫空&lt;br /&gt;この妙な名前の地名は、ロープウェーの試運転で事故が続出したことで有名になった。十分なテストも経ないでいきなり本運転を行うのは香港の新空港をはじめ、華人の間では枚挙に遑がない。話によると、竣工予定より早く開始できると賞金がでるそうだが、いかにも華人の本質を衝いている。それに、ケーブルやロープウェーはすでに沢山経験しているから、行くとしても落ち着いてからだ、と思っていたが、案内させられた形で訪ねることになった。&lt;br /&gt;出発はＭＲＴ動物園駅から。駅から350離れたところにロープウェーの駅がある。週日で人出は少ないかと思ったらそれでも100人近く並んでいた。地方の団体が多い。しかもほとんど高齢者である（シニアは半額）。&lt;br /&gt;乗り場へ上がる階段のたもとで、入場する人数をコントロールしており、一定数になると一旦流れを止める。切符売り場は階段を上がったところにあるから、混雑しないでいい。もっとも、悠遊カードが使えるから、大抵の人は切符を買わなくていいようだ。&lt;br /&gt;フランスのＰＯＭＡ社のシステムで建造し、まだ新しいから外観も中身もいいが、窓が汚れて曇ったままで、そういうところに目が届いていない。終点まで4キロ、２回停車して、全行程を２5分で300ｍの高さまで上がる。眼下は鬱蒼とした雑木林で、台湾の気候では年中緑のままだろう。神戸のハーブ公園行きロープウェーは、秋行くと眼下はみごとな黄葉、紅葉で時間が足らない思いをしたが、緑一色では単調過ぎるようだ。&lt;br /&gt;猫空駅付近は道路が入り組んでいるが、道の両側は茶と軽食を提供するコテージ風の建物が目白押しに並んでいる。茶は150元、軽食やケーキはとりどりである。週日のせいか客はほとんどいなかった。休日は満員でにぎわうという。　　駅の下の道路で小型バスが待っている。山道を回って行く先々で天恩宮、鉄観音包種茶研究開発センター、指南宮駅で降りたり散歩したりできる。われわれは指南宮で降りた。ここからまたロープウェーで動物園駅まで戻ることもできるが、聞いて見ると緩やかな坂を下っていくと指南宮（年配者には仙公廟のほうがなじみがある）へ続く。101ビルがここからよく見える。さすがに高い。&lt;br /&gt;指南宮仙公廟へ来るのはほぼ20年ぶりである。最初に来たのは、1960年代だったか、2000段の階段を上ってきた。それが唯一のルートであり、信心を確かめる手段でもあったかも知れない。後に主廟・指南宮の下までバスが来るようになって、階段を上がる苦行は免れた。その時代が最盛期だったかも知れない。今、廟の内部や神像は大きく、金ピカになったが、参詣者数は昔日の面影がないようだ。&lt;br /&gt;もともと、仙公廟は水商売、特に風俗商売の神様として信仰を集めていたが、神様に頼らなくてもよいようになったのだろうか。廟からバス停広場へ通じる道の両側は、かつて売店が並んで喧騒を極めていたが、今は10％も開いていない。仙公廟の衰亡を象徴している。&lt;br /&gt;売店通りに続く広場から530号バスが出る。公館まで15元、政治大學などを経て、メトロ万芳社区駅にも停まる。終点は台湾大學・公館駅前である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;台北市立美術館&lt;br /&gt;「海洋堂とオタク文化」特展の立て看板に惹かれて途中下車して参観した。高齢者にはもうオタク文化とは縁がないとばかり思っていたが、文化の一角を占めるに至っただけあって、結構興味深々たるものがあった。&lt;br /&gt;1960年代から日本電気製品のメッカだった秋葉原に異変が起きたのは、20世紀も終わろうとしていた1998年に、海洋堂が動画、ゲーム、模型などを売る店を開いてからだった。それがオタク文化の名称で二次文化を形成するまでに発展した。会場に入ってまず目に付くのは、怪獣、恐竜、漫画のキャラクター&lt;br /&gt;の模&lt;br /&gt;おたく少女型と、この上なく魅力的な美少女の等身大の人形である。顔は少女だが胸は巨大、脚がとてつもなく長い（と感じる）美少女、しかし、やせていまどきのガリガリのモデル（Size０の別称あり）みたい。目測で十頭身ぐらいあるかと思ったが、パンフレットの写真をコンパスで測って見るとちょうど八頭身であった。それでは普通の人形はどうか、とかわいい人形の場合、四頭身ぐらいだった。じつは、視覚的に四頭身の方が断然かわいくて、八頭身では嘘っぽい感じを与える。怪獣の方はそれこそ千変万化、子供は大喜びだろうが、漫画を見ない老人族には何がなんだか分からない。総じて、模型がこんなに多種類簡単にできるようになったのは、どうやら細工しやすいシリコン樹脂の出現のおかげらしい。&lt;br /&gt;衡陽路（栄町）を歩くと・・・&lt;br /&gt;城内の栄町といえば、太平町（延平北路）と並んで台北を代表する高級商店街だったが、今衰退の兆しが見えてくる。久しぶりに歩いてみたが、シャッターを下ろしている店が目立つようになった。改修のためかと思ったら、休業か貸し店舗のテナント探しのためらしい。いわゆる東区に繁栄を奪われたせいでもある。大型店ができないのも痛手だろう。第一客が集まらない。続く重慶南路の書店もシャッターや空家が目立つ。若者の知識の来源がインターネットに移って、本を読まなくなったためにちがいない。小売の不振、家賃の値上げなどが原因だという。&lt;br /&gt;台湾の輸出はほとんどIT産業が支えているし、もうけてもいるが庶民は益々追い詰められているようにも感じられる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;龍山寺&lt;br /&gt;暖かい日の午後、龍山寺へ行くと老人世界に紛れ込んだ感覚になる。境内にたむろすることが禁じられて久しいので、廟の向かいの公園が満員である。ベンチがいっぱいなのは当たり前で、ところどころ人の塊があるのは将棋と観戦者である。何処も同じ風景で、当事者よりも観戦者の方が熱心で意見が多い。あまりうるさいので切れる老人も時々あるという。喧嘩には至らないが、口論になるのは珍しくないそうだ。&lt;br /&gt;広州街から康定路にかけての停仔脚の物売りは益々盛んになった。天気がよくて暖かいせいもあるだろうが。並べている品物も種々雑多である。時計、装飾品、ケイタイのような高価（？）なものから、誰に売るか知らないが、布の上に皮靴を１足だけ並べたのまである。三水街まで続く。冷やかすにしても、一人では気後れすることもあるから、二人くらいでいったほうがおもしろい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;林口ニュータウン&lt;br /&gt;友人が林口のマンションに移り住んだので、天気のいい日を選んで尋ねて見た。高速道路が開通した頃、一面雑木林だった林口台地が、台北のベッドタウンとして生まれ変わった。旧市街の周辺に12階建てのマンション群が建ち並んでいる。中には８棟とか12棟で一つのブロックを形成して、さながら都市の中の小都市になっている。最初からそういう風に規制したのか、12階でそろえてあるから景観的にもよい。友人のマンションは８棟で中庭を囲んで、総数500戸、住民は2000乃至3000人と推定される。台北からのバスがマンションの前に停まるし、林口市内の巡回無料バスが運行しているから、結構便利だという。台地で海岸に近いので風がやや強い嫌いはあるが、夏はかえって涼しいかも知れない。&lt;br /&gt;マンションのすぐ傍にしゃぶしゃぶの店があった。肉か海産を注文するだけで、その他の野菜類は食べ放題である。ご飯、おかゆ、春雨、コーヒー、ジュース、ケーキ、アイスクリーム、ジェリー、果物も制限がない。お値段の方は250～300元、台北からの交通費は50元（シニアーは25元）ｘ２だから、バス代を払っても台北より安い。バスに乗る時間は行天宮から約40分で、市内とそう変わらない。時間があってお腹に自信ある方は試してはいかが？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;最後にデザート。先月花蓮へ行った時、自強号のトイレで見た標示を紹介します。&lt;br /&gt;「Baby changing table」&lt;br /&gt;何のことだかお分かりですか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　2007/12/15&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/2915658114024643012-8478807275684323196?l=kisuliao.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://kisuliao.blogspot.com/feeds/8478807275684323196/comments/default' title='張貼意見'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=2915658114024643012&amp;postID=8478807275684323196' title='3 個意見'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/8478807275684323196'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/2915658114024643012/posts/default/8478807275684323196'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://kisuliao.blogspot.com/2008/03/blog-post.html' title='台北きょろきょろー（１）'/><author><name>rkc</name><uri>http://www.blogger.com/profile/07661517546902513130</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>3</thr:total></entry></feed>
