07/10 「おれん」にも市民権を
冬、台灣に来る日本人観光客がよく聞く質問の一つに「黒輪」がある。「黒輪」って何ですか?食べ物ですか?少し中国語を勉強した人は「ヘールン」と発音してみるがさっぱり分からない。実はこれは台灣語で発音漢字を当てたもので「オーレン」なのである。どこかで聞いたような言葉だなあと思われる方もいるだろう。そう、「おでん」なのである。台灣語には’で‘の発音がないから近似音で「おれん」と聞き、それに台湾語の黒(オー)と輪(レン)をあてた。それが字も発音も定着してしまった、つまり立派な市民権を獲得したわけだ。
ところで、博多のレポートを見ていたら、博多では「うどん」を「うろん」ということが報じられていた。台灣でもうどんをうろんという人が少なくない。おでんをおれんというのと同じ伝である。
博多で「うろん」が通用しているならば、台灣でも「おれん」が正式な市民権を得てもいいではないか、と思った。
2008年7月13日 星期日
魚がたべられなくなる日
魚が食べられなくなる日
燃料の高騰で、函館のイカ漁漁船が三日間休業するという。
イカ漁は一種独特な方法で、強烈な集魚灯でイカの群れを海面近くまで誘いだし、針に引っ掛けて吊り上げるものである。1945年夏、函館の漁師から聴いた話では、漁師一人で左右2本ずつ竿を持ち、交互にイカの群れの中に入れて引っ掛ける方法だったが、それを外すのが熟練のきわみだったという。現在の操業現場の映像を見ているとそのきっかけはローラーに巻きつけて引き上げるだけでよいらしい。だから、コストの大半は集魚灯用電気の発電燃料になったようだ。イカ漁は今が最盛期、その時期に休むのは理に合わないが、燃料が高くて漁に出れば出るほど赤字になるというのだ。素人考えでは高くなった分イカに上乗せすればよいではないかと思うのだが、ほかの魚の値段との兼ね合いもあって、そう簡単にはいかないらしい。あの、上がったばかりのイカの皮を剥いで手際よく細いそうめん状に刻んだ「イカそうめん」は函館随一の美味だった。冷凍物では絶対味わえないものだったが・・・本当に食べられなくなる日が来るかも知れない。
そういえば、先月蘇澳、南方澳へいったとき、天気が悪いのでもないのに、漁船がぎっしり停泊していた。燃料の高騰で、漁に出るよりは休んだ方が出費がすくないというのだ。台湾人は黙って休むが日本人は大騒ぎしてやすむ。
莫大なオイルマネーが世界中をかけめぐって、再びアラビアンナイトを出現させようとしている。魚も食べられなくなった庶民はどうなるのだろう?
08/07/07
燃料の高騰で、函館のイカ漁漁船が三日間休業するという。
イカ漁は一種独特な方法で、強烈な集魚灯でイカの群れを海面近くまで誘いだし、針に引っ掛けて吊り上げるものである。1945年夏、函館の漁師から聴いた話では、漁師一人で左右2本ずつ竿を持ち、交互にイカの群れの中に入れて引っ掛ける方法だったが、それを外すのが熟練のきわみだったという。現在の操業現場の映像を見ているとそのきっかけはローラーに巻きつけて引き上げるだけでよいらしい。だから、コストの大半は集魚灯用電気の発電燃料になったようだ。イカ漁は今が最盛期、その時期に休むのは理に合わないが、燃料が高くて漁に出れば出るほど赤字になるというのだ。素人考えでは高くなった分イカに上乗せすればよいではないかと思うのだが、ほかの魚の値段との兼ね合いもあって、そう簡単にはいかないらしい。あの、上がったばかりのイカの皮を剥いで手際よく細いそうめん状に刻んだ「イカそうめん」は函館随一の美味だった。冷凍物では絶対味わえないものだったが・・・本当に食べられなくなる日が来るかも知れない。
そういえば、先月蘇澳、南方澳へいったとき、天気が悪いのでもないのに、漁船がぎっしり停泊していた。燃料の高騰で、漁に出るよりは休んだ方が出費がすくないというのだ。台湾人は黙って休むが日本人は大騒ぎしてやすむ。
莫大なオイルマネーが世界中をかけめぐって、再びアラビアンナイトを出現させようとしている。魚も食べられなくなった庶民はどうなるのだろう?
08/07/07
2008年6月28日 星期六
おせっかいな・・・
1960年代、台湾から日本h留学したばかりの周英明氏に、一人の心やさしい日本人が言った。(周英明氏は金美齢氏の夫)
「お国は二つに分断されてお気の毒です。早く中国が統一して、ばらばらの家族が再会できる日がきますように」
同じような論議にその後何度も出会った。とんでもないおせっかいだということを言った人は知らない。いやそもそも中国と台湾が分断されて家族が一緒に生活できないなどとの認識が、この人たちの根底にある。当時の社会党委員長土井女子は、「台湾が中国に統一されるのを促進するため、北京へ行くという。この人は台湾の現状を何処まで知っていただろうか。一度でも台湾へ来て民の声を聞いたら、事実は「台湾人民は一日も早く中国と分かれることを願っている」ことが分かりそうなものだが。再び言う:「土井さんよ、とんでもないおせっかいだ」
日本が台湾を放棄して60数年、日本のインテリは年配の人を含め、台湾人に日本語が上手な人が多い現実を知らない。
2008年6月17日 星期二
バーゼルから
バーゼルから
○ Euro Cup 2008が始まった。
今年の4年に一度のユーロカップは、スイスとオーストリアが共同主催する。その前夜祭が先日バーゼル で行われた。バーゼル市内に突如4ヶ所の大スクリーンと中継所が出現した。4-500人は入る広場で ある。座席は有料だが、立ち見席は無料。付近にはFanshopが記念品を売っている。
幸運にもスイスへ来て二年目にこのような盛事に出会うとは!しかも準準決勝以後の試合のうち、決勝戦 がオーストリアで行われるほか、バーゼルで三回試合がある。どうやら財布がかなり軽くなるのを覚悟し なければならないようだ。
おりにふれて報告しますので、中文が分かる方は直接
http://shuchunjierong.blogspot.com/
を読んでください。
○ Euro Cup 2008が始まった。
今年の4年に一度のユーロカップは、スイスとオーストリアが共同主催する。その前夜祭が先日バーゼル で行われた。バーゼル市内に突如4ヶ所の大スクリーンと中継所が出現した。4-500人は入る広場で ある。座席は有料だが、立ち見席は無料。付近にはFanshopが記念品を売っている。
幸運にもスイスへ来て二年目にこのような盛事に出会うとは!しかも準準決勝以後の試合のうち、決勝戦 がオーストリアで行われるほか、バーゼルで三回試合がある。どうやら財布がかなり軽くなるのを覚悟し なければならないようだ。
おりにふれて報告しますので、中文が分かる方は直接
http://shuchunjierong.blogspot.com/
を読んでください。
2008年6月7日 星期六
大山鳴動のあと
527 大山鳴動のあとで
大山鳴動してねずみ一匹を書いたのが三月末、これで安心と思ったのもつかの間、四月末に老人検診があって、GOT,GPTが再び上がっていると聞かされた。自分でも尿の色が濃いし、食欲があまりないことに気づいていたので、早速受診したら、
「内臓、特に消化系の精密検査をやりましょう」
といわれた。そして
「入院しないと保険が出ない検査項目があるから、明日入院する準備をして来なさい」
という。この機会に人間ドックもいいかと軽い気持ちで承諾したのに、そんなに大げさだとは思わなかった。しかし、ここまで来るともう言いなりになるほかない。
検査の詳細は省略するが、困ったのは最初の日から、毎日輸液(点滴)をするものだから、動き回るのが不便でしょうがない。わたしは検査のために入院しているのですよと看護師に言っても、医者の指示ですからという。結局輸液で黄疸が軽くなったのだから洗浄効果はあったのだが、医師も看護師も誰一人そう言う風に説明した人はなかった。一様に栄養のためですという。5%ブドウ糖500mlのカロリーはせいぜい100カロリーなのに。
検査は内臓のほとんどに及んだ。GPTが高い直接の原因は肝臓の炎症だが、それが肝炎によるものか、それとも他の胆嚢、膵臓、胃、腸、などによるものか、一々チェックするのだ。ただ、用いた手段は、X線、エコー、MRI、生化学検査、心電図など多岐に亘った。生化学検査では膵臓、肝臓、胃腸、前立腺などの癌のマーカーまで分かるようになった。これらが陰性だからといって絶対安全というわけでもないが、一応安心できるからあとは定期的に追跡することになる。
結果は、これら内臓に別段悪性と思われる腫瘍はないが、胆石が長い間胆管にいてなんらかの原因で胆管の一部を塞ぎ、胆汁の流れが悪くなったのだろうと言う診断が下された。この胆石、実はもう20年くらい仲よく暮らしているもので、時々医者に聞いてみても、「どこも痛まなければ放置したらいいですよ」といわれてきた。「その代わり、痛んだらそれこそ立っても座ってもいられないくらいになるから覚悟はしておきなさいよ」と釘をさされている。胆石の痛さについては、父58歳のときに発作が起きた状況をつぶさにみているからよくおぼえている。その他の内臓については、マーカーは安全範囲内にあるという。ただ、前立腺癌のマーカー、PSAはグレーゾーンの真ん中、追跡検査する程度でいいという。胆嚢結石については、本来なら切除するのが正しいが、年齢的に難しいので外科手術しないことにする、との宣託だった。60歳台なら手術を勧めるともいう。一つには、胆石の手術といっても、それだけとればいいというものではなく、膵管、脾臓管を傷つけないように避けるため、手術時間が往々8時間に及ぶからで、高齢者には非常に大きな負担になるからである。
さて、ドックの費用は?
総計8229元 三泊四日である。大部分は病室の差額自己負担分
(6300元)であった。検査費用合計は17636元、この分の90%は保険負担で、自己負担は10%であった。病室も個室だからこんなに高くついたが、本当は大部屋だったらこの分が不要になる。すると、せいぜい2000元程度で済むことになる。
実際、入院して検査を受けるのは退屈でもあり、何時検査の呼び出しがくるか分からないから、なんとも落ち着かない。本をよんでいればよさそうだが、そんな時に限って中断される。また、一度にまとめて全部検査できないですかときいたら、一つの検査の結果を見て次の検査を決めるのだという。いやはや、俎上の魚だからいわれた通りにするほかないが、「拘置所」に類似している気がして苦笑せざるをえなかった。
‘08/05/27
大山鳴動してねずみ一匹を書いたのが三月末、これで安心と思ったのもつかの間、四月末に老人検診があって、GOT,GPTが再び上がっていると聞かされた。自分でも尿の色が濃いし、食欲があまりないことに気づいていたので、早速受診したら、
「内臓、特に消化系の精密検査をやりましょう」
といわれた。そして
「入院しないと保険が出ない検査項目があるから、明日入院する準備をして来なさい」
という。この機会に人間ドックもいいかと軽い気持ちで承諾したのに、そんなに大げさだとは思わなかった。しかし、ここまで来るともう言いなりになるほかない。
検査の詳細は省略するが、困ったのは最初の日から、毎日輸液(点滴)をするものだから、動き回るのが不便でしょうがない。わたしは検査のために入院しているのですよと看護師に言っても、医者の指示ですからという。結局輸液で黄疸が軽くなったのだから洗浄効果はあったのだが、医師も看護師も誰一人そう言う風に説明した人はなかった。一様に栄養のためですという。5%ブドウ糖500mlのカロリーはせいぜい100カロリーなのに。
検査は内臓のほとんどに及んだ。GPTが高い直接の原因は肝臓の炎症だが、それが肝炎によるものか、それとも他の胆嚢、膵臓、胃、腸、などによるものか、一々チェックするのだ。ただ、用いた手段は、X線、エコー、MRI、生化学検査、心電図など多岐に亘った。生化学検査では膵臓、肝臓、胃腸、前立腺などの癌のマーカーまで分かるようになった。これらが陰性だからといって絶対安全というわけでもないが、一応安心できるからあとは定期的に追跡することになる。
結果は、これら内臓に別段悪性と思われる腫瘍はないが、胆石が長い間胆管にいてなんらかの原因で胆管の一部を塞ぎ、胆汁の流れが悪くなったのだろうと言う診断が下された。この胆石、実はもう20年くらい仲よく暮らしているもので、時々医者に聞いてみても、「どこも痛まなければ放置したらいいですよ」といわれてきた。「その代わり、痛んだらそれこそ立っても座ってもいられないくらいになるから覚悟はしておきなさいよ」と釘をさされている。胆石の痛さについては、父58歳のときに発作が起きた状況をつぶさにみているからよくおぼえている。その他の内臓については、マーカーは安全範囲内にあるという。ただ、前立腺癌のマーカー、PSAはグレーゾーンの真ん中、追跡検査する程度でいいという。胆嚢結石については、本来なら切除するのが正しいが、年齢的に難しいので外科手術しないことにする、との宣託だった。60歳台なら手術を勧めるともいう。一つには、胆石の手術といっても、それだけとればいいというものではなく、膵管、脾臓管を傷つけないように避けるため、手術時間が往々8時間に及ぶからで、高齢者には非常に大きな負担になるからである。
さて、ドックの費用は?
総計8229元 三泊四日である。大部分は病室の差額自己負担分
(6300元)であった。検査費用合計は17636元、この分の90%は保険負担で、自己負担は10%であった。病室も個室だからこんなに高くついたが、本当は大部屋だったらこの分が不要になる。すると、せいぜい2000元程度で済むことになる。
実際、入院して検査を受けるのは退屈でもあり、何時検査の呼び出しがくるか分からないから、なんとも落ち着かない。本をよんでいればよさそうだが、そんな時に限って中断される。また、一度にまとめて全部検査できないですかときいたら、一つの検査の結果を見て次の検査を決めるのだという。いやはや、俎上の魚だからいわれた通りにするほかないが、「拘置所」に類似している気がして苦笑せざるをえなかった。
‘08/05/27
2008年5月6日 星期二
台中の休日
台中の休日(Holiday in Taichung)
久しぶりに台中に泊まった。交通が便利になってから、日帰りでも疲れなくなったので、台中に泊まることがほとんどなくなったのである。妹たちの住所が郊外に移って車がないと出入りが不便になったせいもある。
用事が簡単に終わったので、この機会に懸案の眼の診断と、長いあいだおしゃべりしたことがない従弟を訪ねた。眼は、最近とみに視力が衰え、白内障の進み具合が気になるので、未だに現役で診ているJ君に検査してもらうためだが、瞳孔を拡大する必要があるため、普段は十分な時間がとれないから、延び延びになっていたのである。
J君の診療所は台中駅に近い緑川の畔に、もうかれこれ50年開業している。一度などは、台北からの帰りに車窓から飛び込んだ石炭のかけら(石炭を炊く蒸気機関車時代だった)が角膜に刺さってとても痛かったが、汽車を降りてすぐ彼の診療所にかけこみ、つまみとってもらって事なきをえた。手で擦らなくてよかったよ、と言ってくれたのが昨日のように思い出される。
診察の結果、白内障は60%程度、普通なら大抵手術しているところ、まあ、後しばらくは大丈夫だという。彼自身も毎年アメリカで検査してもらっているが、まだ手術していない。診察や処置には差し支えはないという。因みに彼の娘婿は有名な眼科医で網膜の手術のベテラン、アメリカ・ミシシッピ在住。また、眼底検査の結果も少し動脈硬化がある程度だが概ね良好。結論を言えば、年相応だがおおむね健康という嬉しいことになった。最近の大病院の医者は、人数と処方する薬、それに検査項目ばかりに関心があって、患者の言うことは聞かないのみならず、顔さえ見ない傾向がある。そんなこと知ってるよ、と言わんばかりの態度なのである。私がつけた病名は「優等生症候群」。だから親身に聞いてくれ、説明してくれる医者はよけいありがたい。
「僕は濾過器だよ。簡単な処置だけして、あとは大病院へ回す」と達観している。だから保険も見ない。
久しぶりで会った従弟は、中学で一年あとだが、本当は二、三ヵ月しかちがわないし、学寮や東京でも一緒だった時期が長かった。千葉にいた頃、夏休みに一ヵ月くらい泊まり込みで来て、二人で一升のピーナッツを平らげた記録もある。「読書の習慣と楽しみを教えてくれたのは兄さんだったよ。古典音楽も」と、僕が忘れてしまったことを話してくれた。僕がまだ台中にいた50年代にはよくダンスホールに誘ってくれた。酒飲みではなかった彼はダンスが唯一の楽しみだった。それが最近はカラオケ、それも演歌に凝っているという。歌詞に結構心を打つものがあるから、クラシックとはまた一味ちがったものがあり、ストレス解消の新しい方法を見つけたという。患者数は一日約30名、完全休診日や半日休診日をもうけてあるし、一回の診察は2時間程度にしてあるから、気楽にやっている。「家庭医学科」という看板を掲げているが、「要するに昔の開業医の続きだよ」という。「検査漬けの時代だが、どうしている」と聞くと、「なに、勘できめて、疑問があったら検査にまわすよ。収入は減るが患者にはその方が楽だね。不必要な検査が多すぎるよ。患者の目をじっと見て、言うことに耳を傾けたら半分くらい分かってしまうさ。第一、それだけで患者は半分治ってしまうのにね。{はい、検査、来週また結果を見にきてね}なんておかしいよ」と中々手厳しい。内科が多いので薬も出すから薬剤師も雇っているし、パソコンも使っている。パソコンを使う方がよほど忙しくて、本を読んだりカラオケへ行ったりする時間が削られるのがもったいないという。
ゴーストタウンになりかけている台中
台中は台中盆地の真ん中にできた街だった。戦前の人口6万人、道筋は整然とし、きれいな水を湛えた柳川の柳並木と、ブーゲンビリアー(日本名いかだかづら)が生い茂る緑川の2つの川に囲まれたこじんまりした街で、商店街もまとまっていた。その中心地がゴースト化しようとしている。いや、もう半分ゴースト化している。
従弟の診療所は中正路のはずれにあるが、彼が診療している間、大通りに沿って歩いて見た。台中港路の起点と中華路の間ほぼ真ん中になるその地点は、台中市の入り口で高速道路に通じるから、大型バスが盛んに出入りしているが、道路に面した店はと見ると、東側はシャッターを下ろしている店が約半分、西側はもっと多く、ほぼ60%に達する。店舗貸しますとか、売りますという張り紙をしている店も少なくない。昔日の面影はもうない。
市の中心は迅速に西の新開地区に移ってしまった。中心地の彰化銀行本店あたりはもっとひどいそうだ。表面上まだ繁栄しているが、実質は家賃の大幅下落に現れている。ある有名な靴チェーンの家賃はかつて月30万元だったのが今や5万元になった。それでも店は赤字の月が多いという。かつて台中銀座の称があった中山路(すずらん通り)を歩くと道が狭いだけに一層その凋落ぶりがひしひしと身に迫るそうだ。一福堂、太陽堂、美珍香、清水本店などの有名店がひしめいていたところだけに、哀れさを感じる。
台中はもともと人口に比して広いバックグランドを持っていた。消費人口は旧台中州をカバーしていた。市が西と南へ伸びていった原因は、店舗の大型化と住民の移動だった。外地の客は需要に追いつかない交通事情のせいもあって、車で台中に出てくるのが便利になった。必然的に駐車の問題が発生する。駐車場がない中心部は敬遠され、客足が落ちる。あとは悪循環である。かくして、旧市内はゴーストタウン化への道を歩むほかないようだ。店舗を1軒もっていれば左団扇で暮らせた時代は終わった。私たち「老台中」も友人、兄弟を訪ねるのに、アメリカ並みに車で連れて行ってもらうか、タクシーを利用するほかない。私は台北ではめったにタクシーに乗らないし、実際それで不都合もないのに、台中では一寸した用件でも大変コストが高くなった。結果、よほどのことか、誰か車で行く以外は、故郷離れが加速している。
久しぶりに台中に泊まった。交通が便利になってから、日帰りでも疲れなくなったので、台中に泊まることがほとんどなくなったのである。妹たちの住所が郊外に移って車がないと出入りが不便になったせいもある。
用事が簡単に終わったので、この機会に懸案の眼の診断と、長いあいだおしゃべりしたことがない従弟を訪ねた。眼は、最近とみに視力が衰え、白内障の進み具合が気になるので、未だに現役で診ているJ君に検査してもらうためだが、瞳孔を拡大する必要があるため、普段は十分な時間がとれないから、延び延びになっていたのである。
J君の診療所は台中駅に近い緑川の畔に、もうかれこれ50年開業している。一度などは、台北からの帰りに車窓から飛び込んだ石炭のかけら(石炭を炊く蒸気機関車時代だった)が角膜に刺さってとても痛かったが、汽車を降りてすぐ彼の診療所にかけこみ、つまみとってもらって事なきをえた。手で擦らなくてよかったよ、と言ってくれたのが昨日のように思い出される。
診察の結果、白内障は60%程度、普通なら大抵手術しているところ、まあ、後しばらくは大丈夫だという。彼自身も毎年アメリカで検査してもらっているが、まだ手術していない。診察や処置には差し支えはないという。因みに彼の娘婿は有名な眼科医で網膜の手術のベテラン、アメリカ・ミシシッピ在住。また、眼底検査の結果も少し動脈硬化がある程度だが概ね良好。結論を言えば、年相応だがおおむね健康という嬉しいことになった。最近の大病院の医者は、人数と処方する薬、それに検査項目ばかりに関心があって、患者の言うことは聞かないのみならず、顔さえ見ない傾向がある。そんなこと知ってるよ、と言わんばかりの態度なのである。私がつけた病名は「優等生症候群」。だから親身に聞いてくれ、説明してくれる医者はよけいありがたい。
「僕は濾過器だよ。簡単な処置だけして、あとは大病院へ回す」と達観している。だから保険も見ない。
久しぶりで会った従弟は、中学で一年あとだが、本当は二、三ヵ月しかちがわないし、学寮や東京でも一緒だった時期が長かった。千葉にいた頃、夏休みに一ヵ月くらい泊まり込みで来て、二人で一升のピーナッツを平らげた記録もある。「読書の習慣と楽しみを教えてくれたのは兄さんだったよ。古典音楽も」と、僕が忘れてしまったことを話してくれた。僕がまだ台中にいた50年代にはよくダンスホールに誘ってくれた。酒飲みではなかった彼はダンスが唯一の楽しみだった。それが最近はカラオケ、それも演歌に凝っているという。歌詞に結構心を打つものがあるから、クラシックとはまた一味ちがったものがあり、ストレス解消の新しい方法を見つけたという。患者数は一日約30名、完全休診日や半日休診日をもうけてあるし、一回の診察は2時間程度にしてあるから、気楽にやっている。「家庭医学科」という看板を掲げているが、「要するに昔の開業医の続きだよ」という。「検査漬けの時代だが、どうしている」と聞くと、「なに、勘できめて、疑問があったら検査にまわすよ。収入は減るが患者にはその方が楽だね。不必要な検査が多すぎるよ。患者の目をじっと見て、言うことに耳を傾けたら半分くらい分かってしまうさ。第一、それだけで患者は半分治ってしまうのにね。{はい、検査、来週また結果を見にきてね}なんておかしいよ」と中々手厳しい。内科が多いので薬も出すから薬剤師も雇っているし、パソコンも使っている。パソコンを使う方がよほど忙しくて、本を読んだりカラオケへ行ったりする時間が削られるのがもったいないという。
ゴーストタウンになりかけている台中
台中は台中盆地の真ん中にできた街だった。戦前の人口6万人、道筋は整然とし、きれいな水を湛えた柳川の柳並木と、ブーゲンビリアー(日本名いかだかづら)が生い茂る緑川の2つの川に囲まれたこじんまりした街で、商店街もまとまっていた。その中心地がゴースト化しようとしている。いや、もう半分ゴースト化している。
従弟の診療所は中正路のはずれにあるが、彼が診療している間、大通りに沿って歩いて見た。台中港路の起点と中華路の間ほぼ真ん中になるその地点は、台中市の入り口で高速道路に通じるから、大型バスが盛んに出入りしているが、道路に面した店はと見ると、東側はシャッターを下ろしている店が約半分、西側はもっと多く、ほぼ60%に達する。店舗貸しますとか、売りますという張り紙をしている店も少なくない。昔日の面影はもうない。
市の中心は迅速に西の新開地区に移ってしまった。中心地の彰化銀行本店あたりはもっとひどいそうだ。表面上まだ繁栄しているが、実質は家賃の大幅下落に現れている。ある有名な靴チェーンの家賃はかつて月30万元だったのが今や5万元になった。それでも店は赤字の月が多いという。かつて台中銀座の称があった中山路(すずらん通り)を歩くと道が狭いだけに一層その凋落ぶりがひしひしと身に迫るそうだ。一福堂、太陽堂、美珍香、清水本店などの有名店がひしめいていたところだけに、哀れさを感じる。
台中はもともと人口に比して広いバックグランドを持っていた。消費人口は旧台中州をカバーしていた。市が西と南へ伸びていった原因は、店舗の大型化と住民の移動だった。外地の客は需要に追いつかない交通事情のせいもあって、車で台中に出てくるのが便利になった。必然的に駐車の問題が発生する。駐車場がない中心部は敬遠され、客足が落ちる。あとは悪循環である。かくして、旧市内はゴーストタウン化への道を歩むほかないようだ。店舗を1軒もっていれば左団扇で暮らせた時代は終わった。私たち「老台中」も友人、兄弟を訪ねるのに、アメリカ並みに車で連れて行ってもらうか、タクシーを利用するほかない。私は台北ではめったにタクシーに乗らないし、実際それで不都合もないのに、台中では一寸した用件でも大変コストが高くなった。結果、よほどのことか、誰か車で行く以外は、故郷離れが加速している。
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