2008年3月22日 星期六

台北きょろきょろー(1)

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師走になって小春日和が続いたので、浮かれて台北近郊をうろつく機会が何度かあった。

三峡
先ずは三峡。年に一度の桃園区農事試験場の研究成果一般公開日、ポインセチアの新種発表を手はじめに、さつま芋、果物の非破壊糖度測定、各種加工食品など、結構一日遊べる。今までは車で連れて行かれたが、今年は自分で行くことに挑戦、案外スムースに行けた。
家のすぐそばにあるメトロ駅から永寧まで40分、駅前で三峡行きのバスを探していたら、916バスが二台も来た。後ろの車に乗ったら乗客は私一人、まもなく高速道路へ上がって、あっという間に三峡に着いた。運転手に試験場へ行くにはどこで降りたらいいかと聞いたら、一番近いところで下ろしてくれて、ここから歩いて10分もかからないよという。バスで10分、歩いて10分、家を出てから一時間で着いたことになる。車を運転してもこんなにスムースにはいかない。私一人だけで申し訳ないですね、と運転手に言ったら、なあに、朝と夕方乗ってごらんなさい、毎便満席ですよ。それに高速道路を走るので立席はだめだから快適ですよ、との答えだった。このバスは三峡とメトロ永寧駅のシャトルバスの役目を担っているようだ。帰りは各バス停を回っている間に満席になった。ほとんどが台北大學の学生だった。台北市の悠遊カードが使用でき、料金は2倍だが十分引き合う。
以前、土城工業区の工場に勤めていた頃、よく退勤後三峡まで食事に来たり、祖師廟へお参りに来ていたが、車で20分はかかったのに比べると格段に便利になったようだ。会社は渋滞を避けて、30分はやく退勤になるので、夏などは十分に明るい。時に足を伸ばして行天宮の支宮がある白鶏や、原住民集落が残っている三民、復興(角板山)、大渓まで行けた。車そのものが少なかったこともある。メトロは将来三峡まで延長する計画らしいが、私は乗れそうにもない。
しかし、三峡は完全に様変わりした。昔の面影を残しているのは、あの三峡のランドマークだったアーチ橋と祖師廟ぐらいだろう。かのレンガ造りの「旧街」は長いあいだ放置した末に復元はしたが、本来の姿には遠い形になった。それでも残しただけよかった。
もっとも大きな変化は、広大な台北大学と林立する高層マンション群である。
台北市にあった中興大學の分校を基幹として設立した台北大學のキャンパスは100ヘクタールもある。バス停だけでも5ヶ所あった。学内を一廻りするだけでも大変らしい。

マンションはいずれも15階くらい、もともと田んぼだったところに建てられているから整然と並んでいる。高さもそろっているから、景観もそう見苦しくない。10年前には200万元程度だったが、今は2倍以上するらしい。総数2万戸だそうで、人口は約10万、それだけでも一つの都市が出来る。もちろん、道路も広く取ってある。メトロが開通すれば、台北のベッドタウンとして、さらに発展するだろう。現に、引越ししている現場に何ヶ所か出会った。
祖師廟や旧街へもこのバスを利用すれば、たやすく行けるようになった。正月に行った時、今の三峡名物はクロワッサンだと教えられた。近年有名になったものらしい。見たところ形だけで、チーズは入っていないらしいので試しても見なかったが、買い手はほとんどが若者だった。
美術と民俗に興味ある人は、李梅樹記念館を訪れるのもいい。李梅樹は師範大學の美術教授で、祖師廟の再建に生涯を捧げたといってもいい人である。何気なく見ている廟の内外の彫刻はすべて彼の指導で行われた。廟の後ろでは近年まで常時多くの石工や木工が修理や更新に従事していた。いわば廟お抱えの職人たちだったが、中国の安い工賃に侵食されて姿を消した。その高い廟宇美術の技術はどこへいったのだろう。

猫空
この妙な名前の地名は、ロープウェーの試運転で事故が続出したことで有名になった。十分なテストも経ないでいきなり本運転を行うのは香港の新空港をはじめ、華人の間では枚挙に遑がない。話によると、竣工予定より早く開始できると賞金がでるそうだが、いかにも華人の本質を衝いている。それに、ケーブルやロープウェーはすでに沢山経験しているから、行くとしても落ち着いてからだ、と思っていたが、案内させられた形で訪ねることになった。
出発はMRT動物園駅から。駅から350離れたところにロープウェーの駅がある。週日で人出は少ないかと思ったらそれでも100人近く並んでいた。地方の団体が多い。しかもほとんど高齢者である(シニアは半額)。
乗り場へ上がる階段のたもとで、入場する人数をコントロールしており、一定数になると一旦流れを止める。切符売り場は階段を上がったところにあるから、混雑しないでいい。もっとも、悠遊カードが使えるから、大抵の人は切符を買わなくていいようだ。
フランスのPOMA社のシステムで建造し、まだ新しいから外観も中身もいいが、窓が汚れて曇ったままで、そういうところに目が届いていない。終点まで4キロ、2回停車して、全行程を25分で300mの高さまで上がる。眼下は鬱蒼とした雑木林で、台湾の気候では年中緑のままだろう。神戸のハーブ公園行きロープウェーは、秋行くと眼下はみごとな黄葉、紅葉で時間が足らない思いをしたが、緑一色では単調過ぎるようだ。
猫空駅付近は道路が入り組んでいるが、道の両側は茶と軽食を提供するコテージ風の建物が目白押しに並んでいる。茶は150元、軽食やケーキはとりどりである。週日のせいか客はほとんどいなかった。休日は満員でにぎわうという。  駅の下の道路で小型バスが待っている。山道を回って行く先々で天恩宮、鉄観音包種茶研究開発センター、指南宮駅で降りたり散歩したりできる。われわれは指南宮で降りた。ここからまたロープウェーで動物園駅まで戻ることもできるが、聞いて見ると緩やかな坂を下っていくと指南宮(年配者には仙公廟のほうがなじみがある)へ続く。101ビルがここからよく見える。さすがに高い。
指南宮仙公廟へ来るのはほぼ20年ぶりである。最初に来たのは、1960年代だったか、2000段の階段を上ってきた。それが唯一のルートであり、信心を確かめる手段でもあったかも知れない。後に主廟・指南宮の下までバスが来るようになって、階段を上がる苦行は免れた。その時代が最盛期だったかも知れない。今、廟の内部や神像は大きく、金ピカになったが、参詣者数は昔日の面影がないようだ。
もともと、仙公廟は水商売、特に風俗商売の神様として信仰を集めていたが、神様に頼らなくてもよいようになったのだろうか。廟からバス停広場へ通じる道の両側は、かつて売店が並んで喧騒を極めていたが、今は10%も開いていない。仙公廟の衰亡を象徴している。
売店通りに続く広場から530号バスが出る。公館まで15元、政治大學などを経て、メトロ万芳社区駅にも停まる。終点は台湾大學・公館駅前である。

台北市立美術館
「海洋堂とオタク文化」特展の立て看板に惹かれて途中下車して参観した。高齢者にはもうオタク文化とは縁がないとばかり思っていたが、文化の一角を占めるに至っただけあって、結構興味深々たるものがあった。
1960年代から日本電気製品のメッカだった秋葉原に異変が起きたのは、20世紀も終わろうとしていた1998年に、海洋堂が動画、ゲーム、模型などを売る店を開いてからだった。それがオタク文化の名称で二次文化を形成するまでに発展した。会場に入ってまず目に付くのは、怪獣、恐竜、漫画のキャラクター
の模
おたく少女型と、この上なく魅力的な美少女の等身大の人形である。顔は少女だが胸は巨大、脚がとてつもなく長い(と感じる)美少女、しかし、やせていまどきのガリガリのモデル(Size0の別称あり)みたい。目測で十頭身ぐらいあるかと思ったが、パンフレットの写真をコンパスで測って見るとちょうど八頭身であった。それでは普通の人形はどうか、とかわいい人形の場合、四頭身ぐらいだった。じつは、視覚的に四頭身の方が断然かわいくて、八頭身では嘘っぽい感じを与える。怪獣の方はそれこそ千変万化、子供は大喜びだろうが、漫画を見ない老人族には何がなんだか分からない。総じて、模型がこんなに多種類簡単にできるようになったのは、どうやら細工しやすいシリコン樹脂の出現のおかげらしい。
衡陽路(栄町)を歩くと・・・
城内の栄町といえば、太平町(延平北路)と並んで台北を代表する高級商店街だったが、今衰退の兆しが見えてくる。久しぶりに歩いてみたが、シャッターを下ろしている店が目立つようになった。改修のためかと思ったら、休業か貸し店舗のテナント探しのためらしい。いわゆる東区に繁栄を奪われたせいでもある。大型店ができないのも痛手だろう。第一客が集まらない。続く重慶南路の書店もシャッターや空家が目立つ。若者の知識の来源がインターネットに移って、本を読まなくなったためにちがいない。小売の不振、家賃の値上げなどが原因だという。
台湾の輸出はほとんどIT産業が支えているし、もうけてもいるが庶民は益々追い詰められているようにも感じられる。

龍山寺
暖かい日の午後、龍山寺へ行くと老人世界に紛れ込んだ感覚になる。境内にたむろすることが禁じられて久しいので、廟の向かいの公園が満員である。ベンチがいっぱいなのは当たり前で、ところどころ人の塊があるのは将棋と観戦者である。何処も同じ風景で、当事者よりも観戦者の方が熱心で意見が多い。あまりうるさいので切れる老人も時々あるという。喧嘩には至らないが、口論になるのは珍しくないそうだ。
広州街から康定路にかけての停仔脚の物売りは益々盛んになった。天気がよくて暖かいせいもあるだろうが。並べている品物も種々雑多である。時計、装飾品、ケイタイのような高価(?)なものから、誰に売るか知らないが、布の上に皮靴を1足だけ並べたのまである。三水街まで続く。冷やかすにしても、一人では気後れすることもあるから、二人くらいでいったほうがおもしろい。

林口ニュータウン
友人が林口のマンションに移り住んだので、天気のいい日を選んで尋ねて見た。高速道路が開通した頃、一面雑木林だった林口台地が、台北のベッドタウンとして生まれ変わった。旧市街の周辺に12階建てのマンション群が建ち並んでいる。中には8棟とか12棟で一つのブロックを形成して、さながら都市の中の小都市になっている。最初からそういう風に規制したのか、12階でそろえてあるから景観的にもよい。友人のマンションは8棟で中庭を囲んで、総数500戸、住民は2000乃至3000人と推定される。台北からのバスがマンションの前に停まるし、林口市内の巡回無料バスが運行しているから、結構便利だという。台地で海岸に近いので風がやや強い嫌いはあるが、夏はかえって涼しいかも知れない。
マンションのすぐ傍にしゃぶしゃぶの店があった。肉か海産を注文するだけで、その他の野菜類は食べ放題である。ご飯、おかゆ、春雨、コーヒー、ジュース、ケーキ、アイスクリーム、ジェリー、果物も制限がない。お値段の方は250~300元、台北からの交通費は50元(シニアーは25元)x2だから、バス代を払っても台北より安い。バスに乗る時間は行天宮から約40分で、市内とそう変わらない。時間があってお腹に自信ある方は試してはいかが?

最後にデザート。先月花蓮へ行った時、自強号のトイレで見た標示を紹介します。
「Baby changing table」
何のことだかお分かりですか?

                           2007/12/15