2009年8月30日 星期日

「よし」「だめ」とTake care ten minutes

「よし」、「だめ」、「引け」・・・
何の掛け声かおわかりですか。実は、これは野球用語で、皆さんおなじみの「ストライク」「ボール」「アウト」のことで、戦争中血迷った軍部が「英語は敵性語だから使ってはならぬ」と決め付けて、創作した用語でした。昭和18年3月のことでした。因みにこの「敵性語」は「敵国語」でなかったところが実に傑作でした。他にもラグビーは闘球、バスケットボールは籠球、バレーボールは排球、ピンポンは卓球、たばこの「バット」は「金鵄(きんし)」になりました。そのまま定着したのも少なくありません。戦局が楽観を許さなくなった時期に、本職の軍務をほったらかしてこんなことに頭をいためていた大本営の参謀たちの姿は、今からみると滑稽そのものですが、この敵性語禁止令で一生涯損をした人たちがいたことはあまり知られていません。
軍部は教育の場までこの政策を押し広め、女学校、実業学校生徒は敵性語を学ぶ必要がないという理由で授業を取りやめ、わずかに中学だけが「将来外国の知識を吸収するのに必要だから」という理由で時間数を減らして保留しました。私事で恐縮ですが、家内はこの時期に女学校に入学したので、アルファベットさえろくに読めない状態でした。最近、もっと深刻な状況が発生しています。一大決心でパソコンを習おうとした、年配のおじさん、おばさんたち、キーボード上のA、B、C・・・の位置が分からない(もう覚えられない)ばかりか、日本語のローマ字つづりができないのです。先生がまず困ってしまいました。いまさら仮名のキーの位置は覚えられないから、諦めて放棄する人ばかり、折角大枚を出して買ったパソコンが机の下で眠っています。この人たちは日本のかつての軍部に一生涯祟られているのです。
この文を書いた動機は、二つのことを思い出したためでした。一つは、戦後まもなく、太平洋の島々に散らばっている日本軍を復員させるために軍艦「酒匂(さかわ)」がある島に着いたとき、そこにいた米軍の将校が「酒の匂いがしませんね」といったこと。随行の記者が「どうしてそんな洒落(しゃれ)が言えるのか」と聞いたところ、「私たちは、志願して入隊するとすぐ日本語速成教程に回されて日本語を勉強しました」との返事、日本の軍部が英語を敵性語と排斥して教えるどころか、禁止したのにくらべて、米軍の柔軟なやりかたに若い私は強いショックを受けました。終戦後まもなくのことでした。もう一つは、戦後十年も経ったころだろうか、当時台灣に来ていた米軍顧問団の将校が通訳官をしていた知人に日本から来たガールフレンドの手紙をみせて、「どうして彼女はわたしに・・Take care ten minutes.というのですか」と聞いた話。彼女は日本語で「十分気をつけて・・・」と書いたのを彼は十分=ten minutesと読んだためでした。二人とも軍に入隊してから日本語の速成教育をうけたにもかかわらず、漢字の意味までマスターしていたのです。日本が負けたのは、このような日本軍の「夜郎自大」と米軍の「柔軟性」の差も影響しているとこのごろ思います。
もっとも、これで得した人たちもいました。台湾で(のちに中国で)野球をするとき、日本がかつて造語した野球用語の漢字が大変役に立って、頭をいためる必要がなかったのです。今台湾でもシナでもストライクは「好球」、ボールは「壊球」、ホームランは「全塁打」ですから、日本の訳をそのまま流用したにちがいありません。
ここでちょっとエピソードを入れると、太平洋戦争中、日本兵は40年前の明治38年(1905)制式のいわゆる三八銃で戦いつづけました。重さ4キロ、弾丸は5発、一発撃つ度に(こうかん)と称するレバーを引いて薬莢を飛び出させ、(こうかん)を押し戻して新たな弾丸を装填する方式です。装填できる弾丸は一度に5発。対する米軍のものは重さ2.5キロ、弾丸は25発、引き金を引く度に薬莢が飛び出し、次の弾丸が装填されました。こんな悪条件で戦わされた日本兵に同情を禁じえません。
日本語速成学校で勉強したアメリカの若い将校たちは、大部分前線に派遣され、捕虜になった日本兵士から出来る限りの情報を集めました。それはすべてワシントンの本部に送られて真実性を審査、分析して多くの作戦や戦場での戦闘法に生かされたことが最近公開された資料で明らかになっています。

焦点を台湾に移してみましょう。戦後台湾へ進駐してきた中国兵と官吏のあまりな質の悪さ、横暴さに失望、反発して彼らが推進しようとしていた「国語」を、習わない、話さない人がかなりいます。それがここへきて少し困ってきたように感じられます。中国語の電脳が使えないのです。いいか悪いか、あるいは好むか好まないかに拘わらず、十数億の人間が話している言葉で電脳が使えないということは、考えてみれば一大事です。自ら電脳のない世界に引きこもるのは簡単ですが、世界から隔離されることに甘んじなければならない。日本語族の孤独感を一層深刻にしている原因の一つと言えない事もありません。このことでわたしは、太平洋戦争中に日本の軍部が行った英語禁止措置とアメリカ軍が設立した日本語学校過程を思い出さずにはいられませんでした。
「若者が台湾語ができない、話さない」と嘆いている人が少なくありません。確かに、若者の台湾語離れはとても深刻で、近年加速的なのを感じます。一方では台湾意識が上がっているのに、この現象をどう解釈したらよいか、わたしはわたしなりに考えてみました。結果、到達した結論は電脳のせいということになりました。漢字の入力法はいろいろ考案されています。わたしも日本語の電脳が出来るようになってから、なんとか漢字の電脳(中文)も打てるようにと願って、試みましたが、結局注音符号、いわゆる「ポ、ポ、モ」がもっとも直接的で早いことが分かりましたが、肝心の発音が正しくないため中々できません。今でも出来ない。中国では注音符号の代わりにローマ字を使うが、それは小学校からやっているからこれも問題がありません。発音通り打って漢字に変換すればいのです。ローマ字かカナで打って変換すれば、日本文ができる過程と全く同じではないがほとんど同じです。それがホーロー語(河洛話)ではできないのです。若者の台湾語離れの原因の一つがここにあります。最近は、携帯電話の飛躍的増加がこれに輪をかけています。いつでも、どこでも自由に電子通信ができるようになったため、伝言、メッセージ、挨拶、恋愛にまで携帯電話が活用されると、考えていることが直接文字になる北京語が断然優勢になります。もう、台湾語を話す機会がどんどん減っていくのがお分かりでしょう。
アメリカ軍の精神で、戦後まだ頭脳がやわらかい時期に一生懸命「国語」を勉強していたら・・と後悔しています。いまさら「国語」を、注音符号を勉強せよとは申しませんが、「坊主憎けりゃ袈裟まで」や、「敵性語」の境地から脱却して、IT時代を迎える用意が必要な時期になったのではないかと、このころ思うのです。
                         07/10/04

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