2009年8月29日 星期六

見切り販売騒動

閉店間際とか新鮮度保証時間(最近はこれを賞味期限という)が近づいた商品を安く売ることを見切り販売という。生鮮食品や弁当などでよくもちいられる。仮名文字が好きな日本人はセールといっているが。
最近大手コンビニチェーンが見切り販売を行った加盟店に出荷を停めるか制限するかの措置をとったので、公正取引委員会の摘発をうけた。
売れ残りになると店の損失になるので加盟店が見切り販売するのは当たり前の行動で、商店ならば昔からおこなわれていた。私たちの若いころには、閉店30分前にパン屋で安いパンを買うのが生活の智慧みたいになっていた。時刻と天気次第ではお目当てのものが買えないこともあるが、反対に思いがけない安さで買えることもある。日本や台湾ばかりでなく、ヨーロッパでもミュンヒエン駅の地下街で夕方、パンばかりでなくジュースやワインまでセールしていたのに出会ったことがある。20マルク(当時のレートでNT$300元)で抱え切れないくらい大量の食品をもらい、二人で二食食べた経験がある。庶民、とくに旅行者や学生や労働者にはありがたい。東京でもよく閉店前の弁当屋で半値の弁当を買った覚えがある。
コンビニ本社の措置は消費者の存在を無視したやりかたなので委員会の指導を受けたのは当然だが、ここでもう少し問題を考えて見ようと思う。
そもそも賞味期限というのがいつごろから決められるようになったのか分からないが(法的規制はない)、その起源は薬、特に抗生物質の有効期限にあると思われる。抗生物質の立役者だったペニシリンは不安定で、当時の精製技術では特殊保存法をとってもある期間しか効力を保証できなかった。その上、薬剤の性格上使用時に所期の効力をもっていなければならない。それで有効期限(Expire date)という規定を設け、この期限をすぎたものは使用しないようにした。いまでは精製技術が進歩したので、有効期限は3年とか5年になったが、初期の製剤は一年くらいしかなかった。薬局方によれば、有効期限は次の規定に従って決める。
  「検定合格の翌月から~年(または~ヵ月)」
従って、この期間中は効力(専門語では『力価』という)と品質が保証されているわけだが、じつは世間ではその起源を知らないためいろいろな問題を内臓している。第一は、それでは期限を過ぎたものは次の日(または月)には無効になるのか、ということ。次にそれを使えば副作用が出るのか、ということ。私の答えは二つとも「否」である。たとえば昨日まで有効だった薬が今日は効かないということはありえないし、副作用の問題も同様である。しかも医者でも薬剤師でも期限中は薬効が100%あると信じている。実際には大抵の抗生物質は期限の最終日に薬効が85%以上あれば合格なので(種類によるが)、逆にいえば期限前は最低力価以上あることになる。
さて、この有効期限がやがて他の薬品、特にビタミン類にまで拡大され、さらに食品に拡大されていろいろな問題をひきおこした。
その一つが前述の、昨日までよいものが期限をすぎればもう食べられなくなるという迷信であろう。食品の変化は薬よりも条件が多い。調理の材料、、品質、人員、場所、さらには空気条件まで影響してくるから、賞味期限と言うのは「お上」で決められるものではなく、多分に会社または店の経験と「良心」に負うところが大きい。保存条件も\まちまちで、さらにコンビニのように販売場所が分散している場合、配達までの時間、条件も影響するだろう。それを一律に賞味期限(弁当では時刻まで決められているらしい)をきめるのがそもそも不合理ではないか。店としては少しでも回収したい気になるのが当たり前なのに、値引きすればブランドの信用にかかわるとか、消費者がそれを待って正規の買い物をしないとか理由をつけて見切り販売を規制する。彼等の頭にあるのは会社の利益のみで基本的に消費者を馬鹿にした考えにもとづいている。そして結局委員会の指導により売れ残りの15%の代金を本社が負担することにおちついた。
しかし、貧乏人は考える。売れなかった分はどうするのだろう。答えは「まるごとゴミ箱に捨てる」のである。かくて年間650トンの十分食べられるが賞味期限という化け物数字を過ぎた弁当がゴミ箱に捨てられる。店が損するのは変わらない。最近此の種のたべものは出来るだけ回収するようにと業界が提唱しているがそれでも目標は従来45%廃棄していたのを22%に減らそうというだけ。神様が怒る前に日本人の先祖がまず怒るべきだろう。
ところで、去年から激増した、住むところでもなく、収入が僅かしかない路上生活者(昔はルンペンと称していたが、現代は企業と社会が意図的に作り出している)が、このまるごとゴミ箱に捨てられた弁当を「拾って」食べたらどうなるか、と貧乏人は考えてしまう。
理論的には、ゴミ箱が店の中にあるあいだは、店の所有物だからそこからとりだせば窃盗になるのではないか。アフリカの餓民に何千万ドル寄付しても目の前の餓えた同胞には手を差し伸べることもできない。妙な世の中になったものだと思う。                 09/07/25

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