2008年8月8日 星期五

ミレー展
5月31日から始まったミレー展が連日満員の盛況を呈している。6月のはじめ、朝早く行ったのにすでに入場券を買う人と入場を待つ人が長蛇の列をなしていた。独りで行ったから2回並ぶことになり、諦めて帰ってきた。あとで知ったのだが、65歳以上の人は切符を買えば並ばなくても優先的に入場できるし、一人だけ付き添いで一緒に入れる。もちろん付き添いも切符がいる。
先日、娘が夜ならば少々並んでも大丈夫でしょうというので夕食後おもむろに出掛けた。あいかわらずの盛況。入場料が250元というのもまあまあだし、シニアーは半額の120元だった。台北にこんなに多くの美術愛好者がいたのかといぶかったが、いないよりは確かにいゝのだから文句を言う筋合いでもない。夏休みで学生が多かったのもいい現象にはちがいない。ただ、展示館がいささか手狭だった。これだけ来場するとは主催者も想像していなかったのかも知れない。
ミレー展といっても実質はミレーの作品は17幅だけであとは同時代のコロー、ルソーのものだった。もちろん、ミレーの代表作・晩鐘と落穂拾いだけでも十分見る価値はあったが。晩鐘などは世界を一廻りしてようやくオルレー美術館に落ち着いたいきさつがある。何度も転売されてニューヨークのメトロ美術館にあったのをフランスの富豪が大枚を払って買い戻したストーリーは感動ものであった。人々はこの二枚の絵の前に集まっていた。ルーブルを訪れる人がモナリザの部屋に集まるのと同じように。
しかし、落穂拾いどころか、穀物の収穫さえ見たことがない世代には落穂拾いが理解出来なかったらしい。こういう声を聞いた。「ずいぶん貧乏だったんだね」彼ら、霞を食べている雲の上の連中は、落穂拾いが餓えをしのぐ手段に見えたらしい。実は、私たちの年代で田舎に育った人は喰うに困らなくても落穂拾いによくでかけた。拾ったものは鶏やアヒルの餌にしたり、子供はそれを焚き火の一角で手作りのポップコーンにしていた。基本にあるのは「もったいない」の精神だった。

夜行ったのは正解だったようで、少なくとも小学校低年の団体がいないだけいい。ただ、解説の人でもガイドホンでも人名や地名を中国語読みにするのがなじめない。ミレーが「米勒」になるのはいいとしてバルビゾンが「巴比松」だともう分からなくなる。
例によって、もらったパンフレットの日本語を読んでみた。大新聞社が主催し、連日超満員の入場者がいる催しにしては、日本語がおざなりである。どこかの大先生に依頼したのだろうが、あんまり恥を曝さないで欲しいものだと、いつものことながら思う。

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