2009年7月20日 星期一

台北で住所を探す

台北で住所を探す
廖 継思
台北市に長く住んでいる人でも、「どうも住所がみつからない」とこぼすことがある。数年前、私はパリと東京の住所表示について書いたことがある。東京の「町」を中心にした住所と西欧の「道路」を中心とした住所を比較した一文だが、皆さんあまり関心がなかったようだ。
東京に限らず、日本の都市は「町」を中心に表示している。普通、市→(区)→町→丁目→番地で構成されている。近年、アパートやマンションや高層ビルができてからさらに細かく「-1、」とか「-2」などで区切っている。私は東京しか知らないから東京のある友人のアドレスを例に取ると、
たとえば 『栄町一丁目三番地十の3』 は手紙の表記では面倒だから
     〈栄町1の3の10の3〉または<栄町1-3-10-3>
と書いて問題はないが(配達はプロがやっているから)、実際に訪ねていく場合を考えるとそう簡単にはいかない。地図で探して栄町が見つかったとしても3番地がそう簡単に見付からない。地図ではあらゆる番地が載っているわけではないし、3番地のとなりが2番地とか5番地とは限らないからである。幸いにして見付かったが今度は十の意味が分からない。アパートの棟の番号なのか、マンションの階なのか、現地に行ってみないと皆目分からないのだから。だから、かれこれ40年くらいつきあっている友人なのに私はまだ一人では彼の家にたどりつけないでいる。

前置きが長くなったが、アメリカや西欧では道路表示が基本だから、道路の在処(ありか)さえ見付かれば道を歩きながら目的の家に辿りつけるのである。長々と書くよりは実際に台北を例にとってみよう。
台北の住所表示は、 
路(街)→段→巷→弄→階(楼)→番号 
の順になっている。
路と街は基本的に同じだが、道幅によって分けられ、「路」は大きい道路、やや狭い道路は「街」になる。長い路はさらに段で区切ることがある。段の区切りは大抵広い道路に出会ったときに起こるからなれると見当が付く。市によっては段の代わりに一路、二路とするのもある(高雄市など)。アメリカでは普通段で区切らないので番号が4桁にもなるのも珍しくない。一度、5700台の番号に出合ったことがあったが、歩道の角に大きな柱に大きな字で表示していた。車社会だから遠くから、走っていても見付かるようにしているのだろう。
「巷」と「弄」は共に路地だが巷は路または街から分かれた路地、弄は巷からさらに分かれた路地である。路や街に面したところでは当然巷や弄がないことになるし、短い路や街では段は不要である。そして、いよいよ番号に辿りついた。そこが多層建築ならば表示は更に階(またはF,正式には楼)を表示することもある。
次に重要なのは路(または街)が南北や東西に分かれる点である。その分岐店は中山路(南北)と忠孝(東西)である。地図でこの二つの道路に線を引くと台北が東、西、南、北、に四分されることに気が付くだろう。
たとえば、東西方向に走る南京路は中山北路で南京東路と南京西路に別れる。同様に南北を貫く中山路は忠孝路で中山南路と中山北路にわかれる。
最後に番号にも規則がある。あらゆる番号は上記の分岐線から始まる。つまり南京西路も南京東路も、中山路から数えはじめ、起点に立って東に向け左方が奇数1,3,5,7・・・、右方が偶数2,4,6、8・・になる(西に向けば左が偶数右が奇数になる)。南北方向の道路ならば、北に向かって左側が偶数、右側が奇数になる。南に向けば左が奇数、右が偶数になる。建物の大きさが違うので、偶数番号の向かいが近い奇数とは限らない。途中で路地(巷)に出会えばその巷にもつづき番号がつく。たとえば15号の次の巷は17巷で、その次の家(またはビル)の番号は19号となる。弄の場合も同じ。この方法の利点はあと何軒で目的の家に着くかの予想ができることである。最後に実例である住所を探して見よう。
 <台北市延平北路二段144巷5号>へ行こうと思う。
○ 北路というから北半分にあることが分かる。
○ 延平北路は重慶北路という大きな通りと平行する南北の通り。
○ 二段ははじめに近いあたりだろう。多分南京路から二段になるだろう。
○ 144巷だから進行方向の左側だろう。
○ 弄はないから目的の家はこの巷に面した家にちがいない、そして5号は、表通りから入って3軒目のはずだ。
こうして簡単に目的の家が見付かった。
余談になるが、地図をながめているといろいろ面白いことが見付かる。
第一にあらゆる都市に「中正路」があるのに台北市には「中正路」がない(士林にあるのはあとで台北市に編入されたからである。いや、台北市にもあったのである。何故なくなったかというと、もともとは現忠孝路を経て現八徳路と続く台北市の目抜き通りが中正路だったが、この路がまっすぐになりずっと東に伸びると途中で「段」を設けて中正路を切らなければならない。それではあまりに「恐れ多い」からというわけで、忠孝路に改め別に八徳路を設けた。おべっか文化は昔から健在だった。ちなみに、おべっかは中国語では「拍馬尻」という。現状をみているとまさにずばりではないか。
第二に、大きな道路が続いているのに名称がちがうところがある、新生南路と松江路、中山南路と羅斯福路である。これは後で開通したか直線にしたためだった。

さあ、あすからあなたも道を探すベテランになる。頑張って!

もう少し余談を進める。
「町」表示の不便さは外国人ばかりでなく東京人でも痛感している。だからカーナビの普及率はおそらく世界でもトップクラスだろう。ある年、東京で友人を訪ねての帰り、電車の方が便利だと言ったのに、友人が親切に送ってくれるというからその精密なカーナビ(電話番号だけで連れて行ってくれた)で泊まっている家の近くまで行ったが、夜だから普段見慣れている家ではない。道路も新開地だからどの家も同じように見える。幸い、電話で連絡してそこに住んでいた学生が、思いがけない方向から現れて案内してくれてやっと家に入れた。カーナビとて万能ではないことを知った。困ることに日本の家々には表札というものがあって、ご丁寧に家中の人の名前が全部書いてある。この家にはおばあさんと主人夫婦と子供が3人いることが分かってしまうから、私が悪人ならば、いろいろ悪事に利用できそうだなあと感じてしまう。台北には表札というものを見かけない。アメリカでもヨーロッパでも同様なのだ。個人情報が取りざたされる現在、そのような表札をみる度に余計な心配までしてしまう。もっと困るのは下宿(または寄宿)している場合、住所にだれそれ方と書かないと配達されないことがあるのである。表札に載っていない宛名だからだそうだ。今更道路表示にあらためることも出来ないだろうから、日本人は永遠にこの不便と付き合って行かなければならないようだ。    ‘09/06/25

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