2009年7月11日 星期六

漢 字 は 語 る

漢字の元祖とされる甲骨文字の起源は7~8000年前まで遡るというが、少なくともここ1000年間漢字はほとんど変化がなかった。それが、二次大戦後ほぼ時を同じくして、漢字の二大使用国が漢字改革を行った。かくして、現在世界で通用している漢字は台湾の「繁字体」、中国の「簡字体」及び日本の「日本字体」の三種類がある。中国と日本はそれぞれの字体を知っていれば差し支えないが、台湾の日本語族は三種類ともできないと不便になった。難しいことは抜きにして、読むだけでも一大事なのである。
ところで、この時の文字改革だが、どうも不徹底であるか、行き過ぎがあったり、従来の系列から外れて可笑しくなっているのが間々ある。
しかし、改革をやった先生方はちゃんと理由があったにちがいないが、よく見ると、その後の世相から先生方に先見の明があったと思われるのがあって面白くなった。
その1.智慧→知恵    新しい教育を受けた世代は知識は豊かになったかも知れないが考えることがなくなった、つまり智慧がなくなったとしか思えない。結果、言わないでもいいことを言ったり、口をすべらせたりして風格を失っている。
たとえば「大智は大愚に似たり」ということわざは「大知は・・・」になって元来の意味を失うだろう。
その2.簡体字では「愛」から「心」をとってしまったので、「欲する」意味ばかりが強調されて世の中がぎすぎすして、人間が心を失っている。それが伝染して「誰でもいいから殺したくなった」と兵器でいったり、幼児を殺したりする世相が出現している。
その3.「世論」を「よろん」と読ませる類。「世論」ではどうしてもばらばらで、まとまりがない井戸端会議のイメージになる。昔からある世話、世間、世界を知っている人なら「せろん」と読みたくなるではないか。事実、閩南ごならば「世間」は「セーカン」、「世界」は「セーカイ」なのでわたしは今でもつい「世論」を「セロン」と読んでしまう。
きりがないからこのへんで止めるが、最後に文字遊びを一つ。

明の末代皇帝が、ある日お忍びで町へ出た。文字判断をしている屋台があったので、近づいてやおら筆をとると、「友」と書いた。
易者;「ふーむ、反になりそうですなあ」。
皇帝;「いや、これじゃない「有」だ」。
易者;「大明が半分いかれていますなあ」
皇帝;いやそのユウじゃない、「酋」のユーだ。
易者;「ますますいけません。至「尊」(皇帝の意)の足がありません」
こじつけだが、漢字とはこんな遊戯もできるから「官」が「民」をいじめるカッコウの材料になったらしい。

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